我必ずしも聖に非ず 。彼必ずしも愚に非ず 。共にこれ凡夫なるのみ 。
迂遠な話になるかもしれませんが、

今後お札のデザイン変更がある際、

1万円札を聖徳太子に戻すことが、
日本人のアイデンティティ再確認に、
大事なのではないかと思います。


下手な憲法典改正より、
聖徳太子や十七条憲法を学ぶことの方が現在そして今後の日本の問題を解決するために大事なことだと、
思わされます。


根拠を過去に、
その民族の歴史や根元に求めなくては、
問題を解決したり、
改革を行うことはできないと思います。

根拠を未来に求めることは無責任につながります。

①明治維新は改革の精神と根拠を歴史に求めて成功し、

②大東亜戦争に至る昭和維新は、
明治維新の保守自由主義の精神(日本の伝統。
明治帝、
昭和帝の御心でもあります)を捻じ曲げて失敗しました。
マルクス主義やナチズム(政策の傾向よりも、
個人の思いつきやエリート主義、
邪な心の正当化がこれらの主義の本質)にかぶれて国を破滅寸前に追い込みました。


人間はみんな不完全だという認識はキリスト教の罪の観念に対応すると同時に 、
人間を凡夫と見なす十七条憲法のほうが人間理解の上でははるかに優れていると思います 。

聖徳太子の場合は 「人間は凡夫である 」と規定することによって 、
欲望もあるし 、
罪を犯す可能性もあるし 、
怒る存在でもあると認めると同時に 、
魅力を持った存在でもあると考えるのです 。
そうした凡夫であるからこそ 、
それぞれが他をおもんばかる心を持たなければならないといって 「和 」の大切さを教えるわけです 。

一人で考え事はするな 、
一人で決めるな 、
みんなで話をしなさいといっているのです 。
この一条が最後に出てくるのも非常に意味あることです 。
みんな凡夫なのだから 、
個人主義で生きようとしてもだめだといっているわけです 。
個人主義というのは 、
自分が完全な存在 、
あるいはすべてを知ることができる存在であると信じているわけですが 、
そんなことは決してない 。
みんな凡夫なのだから 、
個人主義になったらだめなんだといっているのです 。

これは明らかに近代に通じる思想です 。
それほど卓越した人間観の持ち主であったからこそ 、
当時の人は 、
彼のことを聖徳太子と呼んだのです 。
聖徳太子 本当は何がすごいのか

その他の感想

 Jazzに興味のある方は必見ですね。
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