鮮やかに描かれる、世紀末ウィーンの知的風土
この本が出るまで、
ウィトゲンシュタインは論理実証主義もしくは日常言語学派の関わりで読まれてきた。
つまり、
英米哲学者としてのウィトゲンシュタインだった。
この本は、
その潮流に抗して、
ウィトゲンシュタインを彼が育った19世紀末ウィーンに送り返す。
その知的背景の中で、
ウィトゲンシュタインの哲学的問題、
著作のスタイル、
奇妙な生き様の意義を解明していく。


本書はウィトゲンシュタインの著作を読み解くのではない。
その背景にある、
19世紀末ウィーンの知的風土を描くものだ。
論じられる範囲は、
思想から始まり、
社会評論、
文学、
音楽、
建築、
絵画、
物理学にまで及ぶ。
非常に広い知見だ。
それらの知見から、
ウィーンの知的風土を描き出していく様は、
見事である。


まず後期ハプスブルク朝ウィーンの社会風景が描かれるところから始まる。
問題を先送りした政治体制と、
人々に広まる退廃的空気、
耽美主義。
そこから、
身を引き離そうとして模索する文化人たちが現れる。
鍵となるのは、
社会風刺家カール・クラウスだ。
著者によれば、
ウィトゲンシュタインはクラウス主義者なのである。
同じように建築家ロース、
音楽家シェーンベルク、
作家ホーフマンスタールが論じられる。


ついでウィトゲンシュタインにとって、
なぜ言語がまず重要であったのかが解明される。
鍵は思想家フリッツ・マウトナー、
そして物理学者マッハである。
ウィトゲンシュタインは彼らのなした言語批判を批判する形で、
自らを形作っていく。
ここで彼の前期の主要概念「論理空間」が、
ヘルツとボルツマンに求められている。
ここは大きく興味を引かれる論点だった。
(ただし、
現実そのものではなく現実の可能性を示す数学的モデルというアイデアであれば、
同時期の非ユークリッド幾何学に関する論争が扱われるべきだろう。
本書にはなぜか、
数学についての話題が欠如している。


これにショーペンハウアー、
キルケゴール、
トルストイに見られる自然科学的理性と倫理の厳密な分離が加わる。
カントを徹底させたこの区分は、
倫理を理性的に語ることのできる領域から区別する。
こうして、
『論理哲学論考』の問題圏が開かれる。
Wittgenstein's Vienna

その他の感想

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前作よりも…
数の感覚も出ちゃうよ。
ピンクが、写真と色が全く違う…
「表紙の一部に偽りあり」を差し引いても良かった!
小さくて、明るくて、スタイルがいい
インターネットを見て良かった
お上品なカンジでgood
誰もが知っているが、以外と読んだ人は少ない
コストパフォーマンス良し!(一時的?)
サイズがね…
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