貴重な個人史であり、現代日本精神史
山下良道師は、
ぼくの瞑想の先生である。
じかにお会いすることは少ないのだが、
ポッドキャストを通じての法話は必ず聴いているし、
ぼくの瞑想は山下師とティク・ナット・ハンの方法を両方取り入れたものだ。


山下師は、
ティク・ナット・ハンのていねいな解説者でもある。
翻訳の相談にも乗っていただき、
おかげで基本的な視点をもつことができとても助けられた。
詩人ティク・ナット・ハンが一気にジャンプしてしまう部分を、
じつにていねいに、
これでもかというくらいに説かれるのである。
それは、
「私が歩いているのではなく、
ブッダが歩いているのです」という表現が意味するところだ。


最近ブログでも何回か書かせていただいた通り、
「わたしは誰か」という前提いかんによって、
瞑想も生きかたも大きく変わる。
山下師は「青空」という言葉でその中心を表現している。
雲に覆われていても、
青空はつねに在る。
私の本質がそのように見えたとき、
その場所から見るどんな雲も、
白かろうが黒かろうが等しくいとしく思える。
それを慈悲の心と呼んでもいいだろう。
山下師は、
以前この青空の瞑想のことを、
「慈悲の部屋に入る」と解説されていた。


慈悲の心は、
裁く心とは正反対だ。
最近何回かにわたって書いてきたカルトの問題も、
そこから解放される鍵は慈悲の心にあると思う。
瞑想の観察が徹底できるのも、
この世界へのまなざしが透徹したものになるかどうかも、
慈悲に身を置くかどうかで決まる。
瞑想でも、
生きることでも、
本当の「楽」は慈悲の世界からしか生まれない。
自分が楽であってこそ、
人との共生は可能になるだろう。


山下師は、
あのオームの事件があった95年の初夏、
ティク・ナット・ハン来日時の僧侶との集いに参加されている。
ツアーコンダクターだったぼくは、
偶然とはいえ、
このとき未来の瞑想の師二人に同時に出会っていたことになる。


「青空としてのわたし」を読んでいただければわかるが、
山下師にとってこのティク・ナット・ハンとの出会いは、
とても貴重な瞬間だった。
それは彼個人の転機になったと同時に、
日本の仏教シーンにとっても意義深いものになる。
キーワードは「マインドフルネス」だった。
青空としてのわたし

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