七帝柔道記 の感想

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タイトル七帝柔道記
発売日販売日未定
製作者増田 俊也
販売元角川書店(角川グループパブリッシング)
JANコード9784041103425
カテゴリ文学・評論 » 文芸作品 » 日本文学 » ま行の著者

購入者の感想

この小説を読了して軽い眩暈を覚えた。時間の軸足をゆすぶられた眩暈である。そして改めてこの小説の冒頭の日付を確認した。昭和 59年に高校を卒業とある。物語は昭和 60年代に紡がれているが、その中をめぐる時間はバンカラでならす旧制高校そのものである。現在と昭和とバンカラと、この 3つの時間でゆすぶられる心地よい眩暈である。
物語は北海道大学へ柔道をするために入学してきた主人公の成長記として描かれる。七つの旧帝国大学で今も継承される柔道は高専柔道の流れをくみ、寝技にその主眼を置いている。格闘技に詳しい人なら、総合格闘技で無敗を誇ったグレーシー柔術も同じ高専柔道の流れをくんでいることはご存じだろう。その柔道には、「待った」も「参った」もなく、落ちるか折られるかの戦いである。
入学式の日に柔道場を訪れた主人公は、魅力あふれる部員と共に、七帝戦に向けてひたすら柔道づけの、落ちるか折られるかの地獄のような日々を過ごす。しかしその生活は大山増達のような世捨て人ではない。隣の合気道部の女子が気にかかり、コンパとスキー旅行が気にかかる昭和の等身大の学生の姿も併せ持っている。ここにバンカラと昭和が混在するこの小説の魅力がある。
さらに、それぞれの登場人物も、柔道場での鬼の様相とそこを離れたときの子どもの様な純真さという二面性を持ち読者をひきつけて離さない。特に準主人公とでも言うべき和泉主将の魅力はどうだろう。後輩を常に気にかけながらも、練習では徹底的に限界まで追い込んでいく。そして主将退任後に見せる無邪気な笑顔。著者の筆力もあいまって、あたかもそれらが眼前で展開されている様な錯覚を覚える。
七帝大の柔道は、文字通り血と汗が滲んだ泥臭い柔道であり、関係者以外に注目を受けるものでもない。しかしなぜこの登場人物たちはこの柔道に命をかけ、かくも魅力的に映るのだろうか。それは、彼らが青春の一瞬一瞬を何らの打算もなく、今しかできないことに打ち込んでいるからであろう。現在に生きる私たちは、いくらもがいてみてもこの青春の時間を取り戻すことは出来ない。もがいても取り戻すことのできない青春の輝きがもう一つの眩暈の原因でもある。

この飽食の時代に、この、如何にラクに快適に生きるかにフォーカスされている時代に、こんなにも無駄の削ぎ落とされた屹立した世界がかつてあり、今もまた存在しようとすることに、しばし言葉を失い、また柔道部員たちの真摯な姿勢を思い描くだけで鼻の上の辺りがツンとくるのだ。

前作「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 」の圧巻の筆致は間違いなく、七帝柔道により鍛え上げられた胆力によるものであることは、本書を読めば容易に首肯できる。
さわやかな青春小説という、本書への見方もまた、そのとおりであろう。
しかし、人間の全人的な成長をもたらす秘密が本書には詰まっている。

それは著者が増田に語らせているこんな言葉にもよく表れている。

「この一年三カ月で、私も竜澤も自分でも知らぬうちに大きく変わっていた。峰岸や看護婦たちが私たちを慕うのは、きっと人に対する私たちの眼差しが変わったからなのだ。私たち二人は合気道部や拳制動部だって彼らの懸命を生きているんだから馬鹿にしてはいけないよなと話すようにもなっていた。入学したころから授業でからかった英語の助教授にも退院したら謝りにいこうと私は思っていた。」

なんてことのない文章と思うかもしれないが、多くの人は、わが身を振り返ればこんな全人的な成長を感じる場面など皆無であるに違いない。

そして全力で生きる姿勢はこんな言葉も紡ぎださせるようになっていく。

「学問だってスポーツだって同じだ。他のあらゆることだって同じだ。たまたま与えられた環境や、天から貰った才能なんて誇るものでもなんでもない。大切なのは、いま、目の前にあることに真摯に向き合うことなのだ。自分がいま持っているもので真摯に向き合うことなのだ。」

真摯に生きる、真面目に取り組む、懸命に努力する。
人生の永遠の謎へのこたえは、そこからしか感得できないということを深く了解し、本書を置いた。

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