嵐が丘 (新潮文庫) の感想

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参照データ

タイトル嵐が丘 (新潮文庫)
発売日販売日未定
製作者エミリー・ブロンテ
販売元新潮社
JANコード9784102097045
カテゴリジャンル別 » 文学・評論 » 文芸作品 » 英米文学

購入者の感想

 『嵐が丘』でもっとも緊迫した場面は第15章だが、鴻巣のこの章の訳は、読むのもウンザリである。彼女は男と女のこうした言葉のやり取りを理解できないのだとしか思えない。
 死につつあるキャサリンを前にして、ヒースクリフは言う。
you know that I could as soon forget you as my existence! Is it not sufficient for your infernal selfishness, that while you are at peace I shall writhe in the torments of hell?
鴻巣は、ここを以下のように訳している。
『おまえを忘れるぐらいなら、自分が生きてることすら忘れちまうさ、そうだろ! どこまでふらちなわがままをいえば気がすむんだ? おまえがのうのうとしているときに、俺が地獄の拷問にのたうち回るぐらいじゃ足りないのか』(P331)
ふーむ、
おまえを忘れるぐらいなら、自分が生きてることすら忘れちまうさ……か。
 できの悪い高校生の訳、そのものでしょう。
 死んで安らかに眠ることを『のうのうとしている』と訳すのですか? 内容を理解していないから、こんなガサツな日本語訳をしてしまうのですね。
 ちなみに、この部分は河野一郎(中央公論・世界の文学コレクション)は次のように訳しています。
『きみのことだけはどんあことがあっても忘れないってことも、知ってるはずだ! きみが平和に眠っている間に、僕は地獄の苦しみに身もだえしなきゃならないと思えば、いくらわがまま勝手なきみだって満足だろうが?』
 この他に、ネリーがロックウッドに向かって「こらこら」(P693)と言ってみたり(使用人が主人に向かって「こらこら」などとは絶対に言わない。原文は、「No, Mr Lockwood」。
 死に別れを生き別れと訳してしまって意味を通じなくしていたりと、鴻巣訳の『嵐が丘』は最近では珍しいほどの、誤訳、悪訳、下手訳に満ちている。何よりも、この訳者の日本語への思い入れの欠如、要するに言葉へのガサツな態度には呆れ返るしかない。

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