ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観 の感想
参照データ
タイトル | ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | ダニエル・L・エヴェレット |
販売元 | みすず書房 |
JANコード | 9784622076537 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 心理学 » 心理学入門 |
購入者の感想
他の方のレビューにもあるとおり、言語学者である著者がアマゾンの一民族をフィールドワークし、チョムスキーやピンカーなどの言語本能論では説明の難しい言葉の世界を目の当たりにして、言語と文化の関係を根源的に考えなおしていく過程を鮮やかに記述した学術的エッセイだが、個人的には、人間と宗教の関係について深く考えるための非常に興味深いエスノグラフィ(民族誌)として読んだ。
彼らは、直接経験からしかものを語らない。よって、彼らが実際に「見た」自然界の精霊などの若干の信仰的対象を除いては、いかなる抽象的な宗教も起源の神話も持たない。古来の出来事の象徴的な反復である儀礼も存在しないし、来世の観念ももちろんないから死者の埋葬も実に簡素でほとんど衛生上の処理に近い。だから、聖書をもとにしたキリスト教の語りのように、過去の偉人による事跡の解説や、目の前の人間関係を超えた超越神への傾倒など、理解不能である。伝道師でもある著者は彼らの世界に思い切りつまづく。
いわゆる「宗教」をもたない彼らは、だが極めて幸せそうである。過去を悔いたり未来を憂慮したりせず、今ここにある自分たちの生を気持ちよく生きているからだ。彼らの語彙に「心配する」にあたるような概念はないらしい。著者が、彼らを「回心」させるため、継母に自殺されたという自分のつらい経験と、それを契機に神の素晴らしさに目覚めた、という渾身の信仰告白をしてみせたところ、彼らに爆笑されてしまい、「自分を殺したのか?ハハハ。愚かだな。ピダハンは自分で自分を殺したりしない」と言われてしまったという。実に身につまされる。
むろん、だから我々の文明世界はだめなんだ、というつまらない自虐をするつもりはないが、しかし、神も仏もないのか、といったような問いが成立する以前で幸せに暮らしている人々を本書から知ることで、我々の生き方を深く反省したくなるのは確かである。0
彼らは、直接経験からしかものを語らない。よって、彼らが実際に「見た」自然界の精霊などの若干の信仰的対象を除いては、いかなる抽象的な宗教も起源の神話も持たない。古来の出来事の象徴的な反復である儀礼も存在しないし、来世の観念ももちろんないから死者の埋葬も実に簡素でほとんど衛生上の処理に近い。だから、聖書をもとにしたキリスト教の語りのように、過去の偉人による事跡の解説や、目の前の人間関係を超えた超越神への傾倒など、理解不能である。伝道師でもある著者は彼らの世界に思い切りつまづく。
いわゆる「宗教」をもたない彼らは、だが極めて幸せそうである。過去を悔いたり未来を憂慮したりせず、今ここにある自分たちの生を気持ちよく生きているからだ。彼らの語彙に「心配する」にあたるような概念はないらしい。著者が、彼らを「回心」させるため、継母に自殺されたという自分のつらい経験と、それを契機に神の素晴らしさに目覚めた、という渾身の信仰告白をしてみせたところ、彼らに爆笑されてしまい、「自分を殺したのか?ハハハ。愚かだな。ピダハンは自分で自分を殺したりしない」と言われてしまったという。実に身につまされる。
むろん、だから我々の文明世界はだめなんだ、というつまらない自虐をするつもりはないが、しかし、神も仏もないのか、といったような問いが成立する以前で幸せに暮らしている人々を本書から知ることで、我々の生き方を深く反省したくなるのは確かである。0