バッカイ――バッコスに憑かれた女たち (岩波文庫) の感想
参照データ
タイトル | バッカイ――バッコスに憑かれた女たち (岩波文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | エウリーピデース |
販売元 | 岩波書店 |
JANコード | 9784003210635 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 文芸作品 » ギリシャ・ラテン文学 |
購入者の感想
エウリピデスの遺作。カドモスの孫ペンテウスが暗い動物的本能の神であるディオニュソスを信じなかったために破滅する物語である。私は顛末を知っているから、興味は専ら作劇法や台詞に向かう。作風は「雄渾」の一言に尽きる。訳文はよく練れた日本語。解説も執拗なほど詳しい。
ペンテウスについて「神を蔑ろにした自業自得の暴君」あるいは「集団的狂気に破れた理性ある為政者」のいずれの解釈も一面的である、との主旨が解説にある。当時の常識や神学的視点から、その指摘はもっともであろう。しかし私は、シェイクスピアが「トロイラスとクレシダ」に描いたサーサイティーズを思い出す。彼はトロイ戦争の英雄達が生命を軽んじ徒に力む姿を蔑む近代的知性として描かれ、ホメロス「イリアス」における畸形で無能な異端者としての造形と対極を成す。ペンテウスは奇矯な外来者の急激な勢力増大に危機感を抱き熱狂的な集団ヒステリーの中でひとり理性を保つが、そのために八つ裂きにされる。後年のイエスの最期を思わせ、卑近な例では「ふわっとした民意」の数による暴力に蹂躙される、覚醒した知識人の姿にも重なる。
しかし穿った見方をするなら、ペンテウスの理性は彼本来の性ではなく最初からそうあるべく仕組まれていたとも考えられる。事実、神の標的は彼一人ではなく、最初からカドモス王家の殲滅であった。ペンテウスを触媒としてそれは見事に完成したのである。終幕でディオニュソスが告げる、カドモスと妻ハルモニアとの救済は彼の赦しではない。カドモスの姉妹エウロパはゼウスの愛人、ハルモニアはアレスとアフロディテとの娘である。私の乏しい知識では、ギリシアの神々は互いの領分を決定的には侵さない。この二人は他の神々の縁者として、その最終的処遇が単にディオニュソスの管轄外であったに過ぎない。憶測すれば、それは各地の土着神の威信を損なわないための、神話生成上の知恵であったのかもしれない。
ペンテウスについて「神を蔑ろにした自業自得の暴君」あるいは「集団的狂気に破れた理性ある為政者」のいずれの解釈も一面的である、との主旨が解説にある。当時の常識や神学的視点から、その指摘はもっともであろう。しかし私は、シェイクスピアが「トロイラスとクレシダ」に描いたサーサイティーズを思い出す。彼はトロイ戦争の英雄達が生命を軽んじ徒に力む姿を蔑む近代的知性として描かれ、ホメロス「イリアス」における畸形で無能な異端者としての造形と対極を成す。ペンテウスは奇矯な外来者の急激な勢力増大に危機感を抱き熱狂的な集団ヒステリーの中でひとり理性を保つが、そのために八つ裂きにされる。後年のイエスの最期を思わせ、卑近な例では「ふわっとした民意」の数による暴力に蹂躙される、覚醒した知識人の姿にも重なる。
しかし穿った見方をするなら、ペンテウスの理性は彼本来の性ではなく最初からそうあるべく仕組まれていたとも考えられる。事実、神の標的は彼一人ではなく、最初からカドモス王家の殲滅であった。ペンテウスを触媒としてそれは見事に完成したのである。終幕でディオニュソスが告げる、カドモスと妻ハルモニアとの救済は彼の赦しではない。カドモスの姉妹エウロパはゼウスの愛人、ハルモニアはアレスとアフロディテとの娘である。私の乏しい知識では、ギリシアの神々は互いの領分を決定的には侵さない。この二人は他の神々の縁者として、その最終的処遇が単にディオニュソスの管轄外であったに過ぎない。憶測すれば、それは各地の土着神の威信を損なわないための、神話生成上の知恵であったのかもしれない。