「現代経済学は数学モデルの精緻化に没頭しているが、倫理的考察を重視していたかつての姿に回帰すべき」と主張する本。
 本書では、
ギルガメシュ叙事詩から始まり、
旧訳聖書、
ギリシャ哲学からアダム・スミスまで、
経済と倫理がどのような関係にあったかが書かれている。


 旧約聖書は「人間は悪を為すものなので倫理が必要。
戒律の枠内で効用を最大化して良く、
富は神の祝福」と考える一方で、
「定期的な債務免除など社会的セーフティーネットが準備とされていた」という。
ここ数年、
世界中で格差社会への問題意識が急速に高まっているが、
旧約聖書の思想は現代を描いているようで興味深い。

 これがキリスト教になると、
現世における善悪の報いは放棄され、
「信仰による救いは死後の世界で神から与えられる」と転換する。
そのせいか、
教父アウグスティヌスに代表される初期キリスト教は、
プラトンのイデア論(現実から隠れた合理的真理を探究)やストア派(行為の結果に関係なく、
行為自体が善であるべき)の影響が強く、
非常に禁欲的なものとなったが、
13世紀にトマス・アクィナスがアリストテレスを再評価し、
理性を重視する世俗主義に回帰してきたという。

 科学的理性というと、
17世紀にデカルトが客観性を徹底して追求したが、
「感覚は欺かない」の根拠が「神は欺かないから」であったことから考えても、
科学といえども完全に客観的になりうるわけではない。

 18世紀に登場した近代経済学の父アダム・スミスは、
「神の見えざる手」で有名で、
自由放任主義の権化のように思われているが、
スミス自身は「道徳感情論」を著したように、
倫理重視の道徳経済学者だったことを強調している。
むしろスミスより少し前のバーナード・マンデヴィルが現代的「神の見えざる手」の急先鋒で、
「悪徳こそが経済成長の源」と主張した。
犯罪ですら警察需要を生むという極論はともかく、
強欲、
美食、
虚栄といったものに需要創出パワーがあることは認めざるを得ない。


 企業がマーケティングに知恵を絞っているのは、
消費者の欲望を刺激して売上げを伸ばすためである。
マクロ経済が成長するためには、
需要を膨らませ続ける必要があるが、
近年では公的部門も民間部門も借金を積み上げて需要を支えており、
この累積債務が世界経済の大きなリスクになっている。
他方で格差問題が浮上してきている。
善と悪の経済学

その他の感想

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