失った時間に出会った心地よい眩暈の小説
この小説を読了して軽い眩暈を覚えた。
時間の軸足をゆすぶられた眩暈である。
そして改めてこの小説の冒頭の日付を確認した。
昭和 59年に高校を卒業とある。
物語は昭和 60年代に紡がれているが、
その中をめぐる時間はバンカラでならす旧制高校そのものである。
現在と昭和とバンカラと、
この 3つの時間でゆすぶられる心地よい眩暈である。

物語は北海道大学へ柔道をするために入学してきた主人公の成長記として描かれる。
七つの旧帝国大学で今も継承される柔道は高専柔道の流れをくみ、
寝技にその主眼を置いている。
格闘技に詳しい人なら、
総合格闘技で無敗を誇ったグレーシー柔術も同じ高専柔道の流れをくんでいることはご存じだろう。
その柔道には、
「待った」も「参った」もなく、
落ちるか折られるかの戦いである。

入学式の日に柔道場を訪れた主人公は、
魅力あふれる部員と共に、
七帝戦に向けてひたすら柔道づけの、
落ちるか折られるかの地獄のような日々を過ごす。
しかしその生活は大山増達のような世捨て人ではない。
隣の合気道部の女子が気にかかり、
コンパとスキー旅行が気にかかる昭和の等身大の学生の姿も併せ持っている。
ここにバンカラと昭和が混在するこの小説の魅力がある。

さらに、
それぞれの登場人物も、
柔道場での鬼の様相とそこを離れたときの子どもの様な純真さという二面性を持ち読者をひきつけて離さない。
特に準主人公とでも言うべき和泉主将の魅力はどうだろう。
後輩を常に気にかけながらも、
練習では徹底的に限界まで追い込んでいく。
そして主将退任後に見せる無邪気な笑顔。
著者の筆力もあいまって、
あたかもそれらが眼前で展開されている様な錯覚を覚える。

七帝大の柔道は、
文字通り血と汗が滲んだ泥臭い柔道であり、
関係者以外に注目を受けるものでもない。
しかしなぜこの登場人物たちはこの柔道に命をかけ、
かくも魅力的に映るのだろうか。
それは、
彼らが青春の一瞬一瞬を何らの打算もなく、
今しかできないことに打ち込んでいるからであろう。
現在に生きる私たちは、
いくらもがいてみてもこの青春の時間を取り戻すことは出来ない。
もがいても取り戻すことのできない青春の輝きがもう一つの眩暈の原因でもある。
七帝柔道記

その他の感想

中に露がたまった。
最強かも
まさに究極の一冊
本当にジャストサイズ!
レースで敵に体当たりして転ばす」が斬新
スマホにて使用中
初回版でした
最初買った時と荷姿が違った。食べ物なのに開封された形跡があった。
ジョブズの非情な一面に驚愕
ファーファでふわふわ、さわやかな香り
新しいボードゲームを作る時に大切なことをミドリの新しいゲーム「ワンルーム」からお勉強
前回からのパワーアップを実感できる入魂の一作
要約不可能な面白さ
なかなか良いと思いますよ。
試してみた。
顔も僕好みです!
音源を取るのに
EUへ
完成すると非常に良いが、やはり〇〇製…
どちらかというとがっかりモ-ド…
全く問題有りません。
ライブを体感できる素晴らしい出来
衝撃的な面白さです
新鮮さもあります
色が濃かったです
紀文ブランドとしては終了
あまりにもレビューが寂しいので・・・
安いなりの、それなりの製品
おきにいり♪
写真がキレイです
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