アール・デコの時代を生き人たちへの溢れる愛情
アール・ヌーボーの世界に続いて、
アール・デコの時代を語った一冊。
内容は多岐に渡る。
アール・デコの全体性をある程度、
浮かび上がらせてくれる。
その後の研究成果から見て、
この本がどのような位置取りを持つのかは分からないが、
私にとってアール・デコと言われたとき、
真っ先に思い浮かべる一冊だ。


きっとそれは、
筆者のアール・デコへの、
その時代とその時代を生きた人々への溢れるような愛情のせいだろう。


とくに、
ダンサーのイサドラ・ダンカン。

アンナ・パブロワについても一文を書いているけれども、
明らかにその筆致は異なる。
イサドラ・ダンカンへの溢れるような想いをひしひしと感じる。
臆面も無く書いている、
とすら言えるかもしれない。

イサドラの境遇、
そこから見つめ、
感じていた世界、
両手を伸ばし触れようとしていた世界、
触れたかと思えた瞬間にこぼれ落ちた世界。
けれども戒めを解き、
靴を脱ぎ、
自由を求め、
手を伸ばし、
踊り続けるイサドラ。

そのすべての姿、
そのすべての記述に愛情が溢れている。


1913年にはイサドラの最愛の子どもたちが自動車もろともセーヌ川に転落、
溺死してしまう。
23年にはエセーニンとわかれ、
そのエセーニンが25年に死ぬ。

そして最後はイサドラ自身が、
自分の運転する車に、
きっと自慢だった赤く長いショールを巻き込まれ、
縊死してしまう。
20年代の光と影の強いコントラストを生きたイサドラは、
20年代的な死に方をしてしまう。


このイサドラの章の最後におかれた言葉。


「パリでおこなわれた葬儀には赤いグラジオラスが捧げられ、
『ロシアの心はイサドラのために泣く』と書かれていた。
」(p138)

海野弘は時々、
こういう書き方をする。
「これをみると1920年代を思い出す」。

20年代は、
彼にとって、
思い浮かべるものでも、
思い起こすものでもなく、
想像するものではなく、
「思い出される」ものとしてある。
彼は、
20年代を生きている。
その空気を吸い、
街を歩き、
ポスターを眺め、
腕時計をみ、
摩天楼を見上げ、
イサドラの踊りに感動する。
そしてそうした20年代を「思い出す」。
アール・デコの時代 (中公文庫)

その他の感想

そこそこ光る。
いい本ですが、ただ誤植が。
夜はリラックスアロマの、昼はコロンのかわりにもオススメです!
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