これは果たしてレーニン論なのか?
 本書は、
気鋭の理論家である白井聡の二冊目のレーニン論である。
白井は社会科学的および実践的評価を離れて、
あくまでも「思想家としてのレーニン」を抉りだすという。
それゆえ本書は通俗的なレーニン主義論とはまったく異なり、
フロイト、
バタイユ、
ネグリ、
マレービッチといった古典および現代思想との比較思想的分析を方法論として採用すると宣言される。
なるほど、
その古今東西の社会思想にかんする学識の広さと深さは敬服に値する。

 しかし本書の全体を通読しても、
これがどうしてレーニン論なのかという根本的な疑問はますます大きくなるばかりだ。
たしかに彼の先達と目される長原豊のような、
単純な反権力主義や革命主義への「左翼」的迎合は、
ムフとネグリの評価を除いては殆ど見られない。
この点はよい。
しかし資本主義の「外部」への着目を、
市場の共同体「間」的性格に求め、
この外部を内部化する転倒性に資本主義を超克する可能性=「力」を求める論理、
および国家論を純粋資本主義の自閉から外部化される公共的権力に求める論理は、
しょせんレーニン的唯物史観とは何の関わりもないだろう。

 その「物質」概念は、
レーニン的唯物論のそれではなく、
商品の価値に抗する使用価値的な「もの」「ひと」の比喩であり、
その資本主義認識は「実体」としての「もの」にまとわりつく外部的な価値形態を批判するフォルマリズムである。
白井自身はかかる発想を主に中沢新一から学んだと記している。
だが、
こうした商品の形態的理解は誰よりも宇野弘蔵のものであり、
商品形態の普遍化に呼応する国家の法的理解はむしろパシュカーニスに負うことは明らかであろう。
本書のタイトルを、
奇を衒ったレーニンとするよりも、
端的にマルクスとした方がよかったのではないか。
実際、
宇野とパシュカーニスを現代の社会哲学につないでマルクスの文脈を再構成する着想は、
我が国ではすでに『資本論と法原理』から『コミュニタリアン・マルクス』にいたる青木孝平の一連の著作にみられる。
こうしてみると、
白井のめざす商品に反抗する物質の蜂起というメタファーは、
未知の唯物論というよりも、
市場社会に抗する共同体(コミュニティ)論というべきなのではなかろうか?
「物質」の蜂起を目指して――レーニン、〈力〉の思想

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