なにも「存在しないところ」ってどこだろう
釈尊にとって最大の敵である悪魔との対話。


悪魔は釈尊にこう語りかける。
(P37〜P40)

  修行者よ。
眼はわたしのものです。
色かたちはわたしのものです。
眼が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものです。
修行者よ。
そなたは、
どこへ行ったら、
わたしから脱れられるだろうか。
 

こうして悪魔は、
五官のすべてにわたって「眼」の場合と同じ様に自分のものだと言い張り、
心までも我が手中にあるという。
これに対して、
釈尊はこう答えられる。


  悪しきものよ。
眼はそなたのものである。
色かたちはそなたのものである。
眼の接触から生じた識別領域はそなたのものである。
しかし眼が存在せず、
色かたちが存在せず、
眼の接触から生ずる識別領域が存在しないところには、
そなたの行くべき通路は存在しない。


このように、
悪魔の言う、
五官は「わたしのものだ」ということについて、
逐一反論された釈尊は「心」についても同様に述べられる。

  
  悪しきものよ、
心はそなたのものである。
考えられるものは、
そなたのものである。
しかし心が存在せず、
考えられるものが存在せず、
心の接触から生ずる識別領域の存在しないところには、
そなたの行くべき通路は存在しない。


釈尊はこうして悪魔を退けられる。
このことと、
イエス・キリストの場合を比較してみると興味深い。
マタイによる福音書において、
イエスは悪魔の「誘惑」に遭うが、
これをすべて神の名によって退ける。
(ルカ伝についても大筋で同様である)
悪魔と面したとき、
イエスが絶対者に拠ったのに対して、
釈尊は逆に「存在しないところ」、
なにもないところを志向された。


各人にとって、
それぞれ「敵」は違うと思う。
が、
釈尊が己の「敵」にたいしてどう対処され、
どうやって超克されたのかを読むのは、
意味のないことではないだろう。
ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2)

その他の感想

引き裂かれ行く国民と国富不均衡をうまく説明した巧みな分析
コスパが非常によい。
付録コスメの中ではとっても優秀
おいおい……
PK追加でやっと無印ぐらいの出来
店頭で買うことをお勧めします
より意識することを悟ることができました。
なぜか Apple 端末には非対応。
毛玉ができなくて、汚れも目立たなくて○
サイズ大きめがいい
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どこへ行ったピコ!!
この本は大事なことの半分しか扱っていないのでは?
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視覚的にも楽しめますが、事前知識も読了には必要かと…
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3まで、花嫁はうろ覚え程度にしか知りませんが
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シーブルー、難あり。
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