ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) の感想

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タイトルブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2)
発売日販売日未定
製作者中村 元
販売元岩波書店
JANコード9784003332924
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釈尊にとって最大の敵である悪魔との対話。

悪魔は釈尊にこう語りかける。(P37〜P40)

  修行者よ。眼はわたしのものです。色かたちはわたしのものです。眼が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものです。修行者よ。そなたは、どこへ行ったら、わたしから脱れられるだろうか。 

こうして悪魔は、五官のすべてにわたって「眼」の場合と同じ様に自分のものだと言い張り、心までも我が手中にあるという。これに対して、釈尊はこう答えられる。

  悪しきものよ。眼はそなたのものである。色かたちはそなたのものである。眼の接触から生じた識別領域はそなたのものである。しかし眼が存在せず、色かたちが存在せず、眼の接触から生ずる識別領域が存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

このように、悪魔の言う、五官は「わたしのものだ」ということについて、逐一反論された釈尊は「心」についても同様に述べられる。
  
  悪しきものよ、心はそなたのものである。考えられるものは、そなたのものである。しかし心が存在せず、考えられるものが存在せず、心の接触から生ずる識別領域の存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

釈尊はこうして悪魔を退けられる。このことと、イエス・キリストの場合を比較してみると興味深い。マタイによる福音書において、イエスは悪魔の「誘惑」に遭うが、これをすべて神の名によって退ける。(ルカ伝についても大筋で同様である)
悪魔と面したとき、イエスが絶対者に拠ったのに対して、釈尊は逆に「存在しないところ」、なにもないところを志向された。

各人にとって、それぞれ「敵」は違うと思う。が、釈尊が己の「敵」にたいしてどう対処され、どうやって超克されたのかを読むのは、意味のないことではないだろう。

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