64(ロクヨン) の感想
参照データ
タイトル | 64(ロクヨン) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 横山 秀夫 |
販売元 | 文藝春秋 |
JANコード | 9784163818405 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » 文学・評論 » 経済・社会小説 |
購入者の感想
2012年発表の本作品は、当該年末の出版社主催のミステリランキングでも首位を独占するなど、評価の高い作品ですが、その期待を裏切らない秀作と感じました。
私は、本作品を読み始めてすぐに、著者の実質的デビュー作「陰の季節」(第5回[1998年]松本清張賞受賞)を表題作とする短編集を読んだ時の感激を思い出しました。
この作品集の特徴は、同じ警察官でも、刑事ではなく、警務部という、人事や議会対策といった管理部門に所属する人たちを主人公に据えているということ。
殺人事件の捜査といった、ミステリに直結する仕事ではないため、現実に全国の警察に存在する部門であるにも関わらず、これまで取り上げられることのなかった設定でした。
しかし、組織の中で生きる人間という意味では、これほどリアリティーのある設定はなく、現実味を帯びたミステリ=社会派推理を生み出した、松本清張の名を冠した賞に相応しいミステリ作品だと感じました。
もちろん、ミステリの重要な要素である、謎の提示や、意外な結末などが巧みに織り込まれていることはいうまでもありません。
さて、本作品は、短編集「陰の季節」と同じ、D県警を舞台とし、警務部の中でも、広報室に所属する三上広報官が主人公。
ある事件の加害者名の匿名扱いを巡り、記者クラブとの関係がギクシャクする中、警察庁長官のD県視察の話が舞い込んできた。
視察にあたっては、「ロクヨン」の遺族を慰問するという。
「ロクヨン」──それは、たった一週間しかなかった「昭和64年」に発生した、未解決の少女誘拐殺人事件の符丁であった。
時効まであと1年と迫るこの時期、長官の視察の目的は何か。
三上広報官は、事件の背後に隠された「真実」に迫ろうとするが…。
本作品は、その舞台から、「D県警シリーズ」とも呼ばれる作品群に位置するものですが、7年ぶりの新作とあって、600頁を超す分量もさることながら、主人公三上の仕事や家庭に関する思いが丹念に描かれ、読みごたえ十分な作品です。
私は、本作品を読み始めてすぐに、著者の実質的デビュー作「陰の季節」(第5回[1998年]松本清張賞受賞)を表題作とする短編集を読んだ時の感激を思い出しました。
この作品集の特徴は、同じ警察官でも、刑事ではなく、警務部という、人事や議会対策といった管理部門に所属する人たちを主人公に据えているということ。
殺人事件の捜査といった、ミステリに直結する仕事ではないため、現実に全国の警察に存在する部門であるにも関わらず、これまで取り上げられることのなかった設定でした。
しかし、組織の中で生きる人間という意味では、これほどリアリティーのある設定はなく、現実味を帯びたミステリ=社会派推理を生み出した、松本清張の名を冠した賞に相応しいミステリ作品だと感じました。
もちろん、ミステリの重要な要素である、謎の提示や、意外な結末などが巧みに織り込まれていることはいうまでもありません。
さて、本作品は、短編集「陰の季節」と同じ、D県警を舞台とし、警務部の中でも、広報室に所属する三上広報官が主人公。
ある事件の加害者名の匿名扱いを巡り、記者クラブとの関係がギクシャクする中、警察庁長官のD県視察の話が舞い込んできた。
視察にあたっては、「ロクヨン」の遺族を慰問するという。
「ロクヨン」──それは、たった一週間しかなかった「昭和64年」に発生した、未解決の少女誘拐殺人事件の符丁であった。
時効まであと1年と迫るこの時期、長官の視察の目的は何か。
三上広報官は、事件の背後に隠された「真実」に迫ろうとするが…。
本作品は、その舞台から、「D県警シリーズ」とも呼ばれる作品群に位置するものですが、7年ぶりの新作とあって、600頁を超す分量もさることながら、主人公三上の仕事や家庭に関する思いが丹念に描かれ、読みごたえ十分な作品です。
読みはじめたとたんに密度の濃さを感じる。とば口にしては濃すぎないか?
この7年間、同ジャンルの別の作家のものを読みすぎたせいかもしれないと
思った。
ところが、密度の濃さに慣れたと気づいたときには、もう横山ワールドにいた。
あっという間に連れ去られていた。流れるストーリーにぐいぐい引っ張られて、
読んでいるという意識すら忘れていたのだった。
今回、登場人物は多いが、まるで以前から知っているような錯覚を覚えるほど、
彼らの思いが手に取るように伝わってくる。対立する立場や考えでありながら、
どちらの言い分にもリアリティという筋が通っている。だからこそ、彼らが
織り成すドラマが、絵空事でも他人事でもなく、わが身に降りかかったことと
感じられた。
作家の想像力(創造力)を思い知らされる作品である。なにもないところから
現実以上のリアリティを紡ぎ出すとはこういうことかとあらためて驚かされる。
読了した充足感のなかには、至福の時間が終わってしまったことへの寂しさが
つきまとう。旅は準備しているときからすでに始まっているとよく言われるが、
ならば、横山さんの次の作品を待ちわびることも、再びやってくる至福の時間
を夢想し、心が浮き立つのを感じる、幸せな準備段階ではないかと思う。
どうか体調に留意されて、ご自身の納得する作品を書き上げていただきたいと
心から思う。ファンはあなたの小説を何年でも必ず待っているのだから。
この7年間、同ジャンルの別の作家のものを読みすぎたせいかもしれないと
思った。
ところが、密度の濃さに慣れたと気づいたときには、もう横山ワールドにいた。
あっという間に連れ去られていた。流れるストーリーにぐいぐい引っ張られて、
読んでいるという意識すら忘れていたのだった。
今回、登場人物は多いが、まるで以前から知っているような錯覚を覚えるほど、
彼らの思いが手に取るように伝わってくる。対立する立場や考えでありながら、
どちらの言い分にもリアリティという筋が通っている。だからこそ、彼らが
織り成すドラマが、絵空事でも他人事でもなく、わが身に降りかかったことと
感じられた。
作家の想像力(創造力)を思い知らされる作品である。なにもないところから
現実以上のリアリティを紡ぎ出すとはこういうことかとあらためて驚かされる。
読了した充足感のなかには、至福の時間が終わってしまったことへの寂しさが
つきまとう。旅は準備しているときからすでに始まっているとよく言われるが、
ならば、横山さんの次の作品を待ちわびることも、再びやってくる至福の時間
を夢想し、心が浮き立つのを感じる、幸せな準備段階ではないかと思う。
どうか体調に留意されて、ご自身の納得する作品を書き上げていただきたいと
心から思う。ファンはあなたの小説を何年でも必ず待っているのだから。