月日の残像 の感想
参照データ
タイトル | 月日の残像 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 山田 太一 |
販売元 | 新潮社 |
JANコード | 9784103606086 |
カテゴリ | 文学・評論 » エッセー・随筆 » 著者別 » や・ら・わ行の著者 |
購入者の感想
山田さんの小説は読んでいないが、山田さんのシナリオのドラマはほとんど見ている。
時代をとらえる感性にすごく身近で懐かしい味わいとリアリティーがある。
エッセーも抜群にうまい。 感銘した一冊です。 最近「新潮ドキュメント賞」を受賞したが、選考委員はよくぞ
この地味な本のHigh Valueな鉱脈を掘り当てた。 日和見庵
時代をとらえる感性にすごく身近で懐かしい味わいとリアリティーがある。
エッセーも抜群にうまい。 感銘した一冊です。 最近「新潮ドキュメント賞」を受賞したが、選考委員はよくぞ
この地味な本のHigh Valueな鉱脈を掘り当てた。 日和見庵
本書は、数々の名作を生み出してきたTVドラマ脚本家山田太一氏の若かりし頃の思い出を綴ったエッセイです。
少年時代の親や兄弟の想い出、戦争で疎開した頃のこと、映画の助監督時代のことなど相当に昔の話が多いのですが、その時代の空気感を感じさせ、著者のさまざまな想いが印象的な、味わい深い話が並んでいます。
この本は、昔を振り返りながらも、「昔は良かった」というような甘っちょろいテイストの本ではなく、むしろアンビバレントなほろ苦い感じがする話が多い感じがします。私は、ゆっくりと味わいながら本書を読ませていただきました。
ていねいに紡がれた、すばらしい本と思います。
少年時代の親や兄弟の想い出、戦争で疎開した頃のこと、映画の助監督時代のことなど相当に昔の話が多いのですが、その時代の空気感を感じさせ、著者のさまざまな想いが印象的な、味わい深い話が並んでいます。
この本は、昔を振り返りながらも、「昔は良かった」というような甘っちょろいテイストの本ではなく、むしろアンビバレントなほろ苦い感じがする話が多い感じがします。私は、ゆっくりと味わいながら本書を読ませていただきました。
ていねいに紡がれた、すばらしい本と思います。
80年代に学生生活を送った私にとって『ふぞろいの林檎たち』で同世代の等身大の主人公たちを描いてくれた山田太一氏は、大変恩義を感じるシナリオ・ライターです。氏の『誰かへの手紙のように』というエッセイ集を今から11年前に読んで、大変感銘を受けました。昨2013年暮れに出た最新エッセイ集を、今回、久しぶりに手にしてみました。
『誰かへの手紙のように』でも著者は家族の複雑さ、そしてそれゆえの興味深さについて筆を進めていましたが、今回も、肺病でなくなった兄とその恋人のこと、食堂を営んでいた父のこと、若くして亡くなった母の弔いの様子など、著者自身の家族の姿を記した随想には、ひとつひとつ心打たれるところがありました。
さらに興味深いのは大学を卒業して松竹に入社し、助監督として働いていた20代の頃の氏の思い出です。職人肌が多く、厳しい映画の世界で、氏は右も左もわからず、毎日緊張に身がやつれる思いをしながら仕事をしていきます。銀幕上に映る華やかな世界とは縁遠い、土と汗のにおいが強い製作現場での思い出。氏が描く当時の回想は、仕事が満足にできず、日々味わいつづけた苦渋に満ちていて、大シナリオ作家となった今からは想像もできないほど弱々しく気力に乏しいものです。仰ぎ見るかの存在だった氏の印象が、少し身近なものへと変わった気がします。
そして私が最も驚きと敬意を持って読んだのが「減退」と題された随想です。
「減退」という言葉が指すのは性(欲)の減退です。齢(よわい)七十を重ねた著者はかつてのように「反射神経のように性欲で分別するところ」がなくなったと綴ります。
「しかし、私は減退が新鮮だった。別の世界へ足を踏み入れたぞ、という小さな興奮があった。負け惜しみだと笑われそうだし、幾分その通りかもしれないが、減退を意識してそれを受け入れると、肩の荷をおろしたような気持になった」(30頁)。
それは著者自身が卑下して言うように「負け惜しみ」なのか、それとも長い人生を味わった末の美しき諦念、あるいは到達点なのか。
自身の「減退」に最近気づき始めた私は、やがて完全に「その日」が来た時、この随想を思い返しながら著者の胸の内を再び推し測ってみたいと思います。
『誰かへの手紙のように』でも著者は家族の複雑さ、そしてそれゆえの興味深さについて筆を進めていましたが、今回も、肺病でなくなった兄とその恋人のこと、食堂を営んでいた父のこと、若くして亡くなった母の弔いの様子など、著者自身の家族の姿を記した随想には、ひとつひとつ心打たれるところがありました。
さらに興味深いのは大学を卒業して松竹に入社し、助監督として働いていた20代の頃の氏の思い出です。職人肌が多く、厳しい映画の世界で、氏は右も左もわからず、毎日緊張に身がやつれる思いをしながら仕事をしていきます。銀幕上に映る華やかな世界とは縁遠い、土と汗のにおいが強い製作現場での思い出。氏が描く当時の回想は、仕事が満足にできず、日々味わいつづけた苦渋に満ちていて、大シナリオ作家となった今からは想像もできないほど弱々しく気力に乏しいものです。仰ぎ見るかの存在だった氏の印象が、少し身近なものへと変わった気がします。
そして私が最も驚きと敬意を持って読んだのが「減退」と題された随想です。
「減退」という言葉が指すのは性(欲)の減退です。齢(よわい)七十を重ねた著者はかつてのように「反射神経のように性欲で分別するところ」がなくなったと綴ります。
「しかし、私は減退が新鮮だった。別の世界へ足を踏み入れたぞ、という小さな興奮があった。負け惜しみだと笑われそうだし、幾分その通りかもしれないが、減退を意識してそれを受け入れると、肩の荷をおろしたような気持になった」(30頁)。
それは著者自身が卑下して言うように「負け惜しみ」なのか、それとも長い人生を味わった末の美しき諦念、あるいは到達点なのか。
自身の「減退」に最近気づき始めた私は、やがて完全に「その日」が来た時、この随想を思い返しながら著者の胸の内を再び推し測ってみたいと思います。