ぼくらの祖国 (扶桑社新書) の感想
参照データ
タイトル | ぼくらの祖国 (扶桑社新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 青山 繁晴 |
販売元 | 扶桑社 |
JANコード | 9784594073084 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 |
購入者の感想
青山氏の参議院選挙での多くの選挙演説を、インターネット上の動画で、視聴した。氏の演説は感動的であり涙する。氏は、常々、「日本国民の根っこにあるものは一つ」それを代えれば、日本は変われるという。拉致被害者を長年に渡り救出できないでいる日本、いじめ、自殺をなくせない学校教育、自己の利益のみを求め、既得権の維持に汲々とする社会、自己の利益のみによって動く国際社会は変われるという。氏の演説に感動を覚えたのを切っ掛けとして、本書を手にした。
既に、多くの優れた書評があるので、特に、書くまでもないが、私の捉えた結論は、以下の通りである。
青山氏の言う「日本国民の根っこにあるもの」とは、「自分のために生きるのではなく、人のために生きる」ということである。
大東亜戦争で戦った多くの先人は、普通の一般国民であり、後世日本人子孫、祖国の繁栄を祈って、自分が犠牲となって死んでいったのである。硫黄島では、本土決戦を一日でも遅くさせて、その分だけ子孫が多く生まれることを願って、熾烈な防衛戦争を戦ったのである。その人々の遺骨は今だに滑走路の下に眠っており、遺骨の上を飛行機が滑走し、人が踏みつけている。
そのような、人のために生きた人々がいたこと忘れ、遺骨を放置している現在の敗戦国日本は、国家と言えるのか。拉致された人々を40年近くも祖国に取り戻すことができず、主権を侵害され続けている。
戦後、「人のために生きた」人々の生き方を学び、「人のために生きる」という教育が成されてこなかったから、自国防衛について日本人の間に共通認識がなく、憲法も改正されないでいるし、拉致された人々を取り戻すことができないでいる。
その一方で、東北大震災で、「人のために生きて、死んだ」人がいる。元来、日本人は「人のために生きる」ことができる国民である。
祖国とは、人のために生きて死んでいった人々の帰るところであり、人のために生き、未来の子孫と祖国のために生きようとしている現在の人々を育む母なる国家であろう。
感動を与える本である。
既に、多くの優れた書評があるので、特に、書くまでもないが、私の捉えた結論は、以下の通りである。
青山氏の言う「日本国民の根っこにあるもの」とは、「自分のために生きるのではなく、人のために生きる」ということである。
大東亜戦争で戦った多くの先人は、普通の一般国民であり、後世日本人子孫、祖国の繁栄を祈って、自分が犠牲となって死んでいったのである。硫黄島では、本土決戦を一日でも遅くさせて、その分だけ子孫が多く生まれることを願って、熾烈な防衛戦争を戦ったのである。その人々の遺骨は今だに滑走路の下に眠っており、遺骨の上を飛行機が滑走し、人が踏みつけている。
そのような、人のために生きた人々がいたこと忘れ、遺骨を放置している現在の敗戦国日本は、国家と言えるのか。拉致された人々を40年近くも祖国に取り戻すことができず、主権を侵害され続けている。
戦後、「人のために生きた」人々の生き方を学び、「人のために生きる」という教育が成されてこなかったから、自国防衛について日本人の間に共通認識がなく、憲法も改正されないでいるし、拉致された人々を取り戻すことができないでいる。
その一方で、東北大震災で、「人のために生きて、死んだ」人がいる。元来、日本人は「人のために生きる」ことができる国民である。
祖国とは、人のために生きて死んでいった人々の帰るところであり、人のために生き、未来の子孫と祖国のために生きようとしている現在の人々を育む母なる国家であろう。
感動を与える本である。