悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書) の感想
参照データ
タイトル | 悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書) |
発売日 | 2016-10-28 |
製作者 | 魚川 祐司 |
販売元 | 幻冬舎 |
JANコード | 9784344984363 |
カテゴリ | 人文・思想 » 宗教 » 仏教 » 仏教入門 |
購入者の感想
仏教とは、「悟り」を目指すという一般的イメージに一石を投じているのが、この対談本である。対談のテー
マは、「智慧」、「慈悲」、「自由」と整理されている。現象のありのままを見抜く「智慧」と、この世界の中
での「善」の実践である「慈悲」が、仏教の二つの柱と著者らは捉えている。「智慧」と「慈悲」を統合した境
地をもって市井の人が「自由」に生きるための方法を議論するのが最終的なテーマである。
瞑想による「智慧」の開発は、「欲」に囚われずありのままの現象を認知することを助ける。この時、自分の
目指す方向を理解し、自分に合った瞑想のタイプを選ばないといけないという。幸福な生き方を求めて瞑想する
ものの、心理学でいう「解離」や「回避」を引き起こし、かえって不幸になってしまう「瞑想難民」の問題点に
ついても、対談の中で扱われている。
仏教は、「悟り」を目指すと、ハードルが高くなってしまい手の届かないものとなってしまう。しかし、「智
慧」の開発と「慈悲」の実践という視点からは、「自由」に生きるための風景が見えてくる気がする。
マは、「智慧」、「慈悲」、「自由」と整理されている。現象のありのままを見抜く「智慧」と、この世界の中
での「善」の実践である「慈悲」が、仏教の二つの柱と著者らは捉えている。「智慧」と「慈悲」を統合した境
地をもって市井の人が「自由」に生きるための方法を議論するのが最終的なテーマである。
瞑想による「智慧」の開発は、「欲」に囚われずありのままの現象を認知することを助ける。この時、自分の
目指す方向を理解し、自分に合った瞑想のタイプを選ばないといけないという。幸福な生き方を求めて瞑想する
ものの、心理学でいう「解離」や「回避」を引き起こし、かえって不幸になってしまう「瞑想難民」の問題点に
ついても、対談の中で扱われている。
仏教は、「悟り」を目指すと、ハードルが高くなってしまい手の届かないものとなってしまう。しかし、「智
慧」の開発と「慈悲」の実践という視点からは、「自由」に生きるための風景が見えてくる気がする。
「悟らなくたって、いいじゃないか」
最初、タイトルを見たとき「ギョ」っとしたものです。
しかし、これは本書をお読みになればおわかりの通りです。
「悟り」という結果を求めるのではなく、「いまここ」を続けていくことへの逆説的な表現であることと、
文字通り、普通の人が「悟り」を求めること無く現実の生活に仏教の瞑想を活かすという、
二つの意味が込められたタイトルなのでしょう。
タイトルが示すように、仏教における深い内容と、わかりやすい内容が混在しているのが
本書の特色ともなっています。
しかしながらキャッチーなタイトルなことは明かです。
タイトルだけを見れば誤読される確率は高いでしょう。
しかしながら、これはあえて刺激的なタイトルにして販促を狙う
出版社の戦略があるのではないかと思います。
.
.
それはさておきまして、本書は、テーラーワ仏教における現実や問題点、課題といった
多岐にわたるテーマが次々と展開しながらも、
タイ仏教とミャンマー仏教の違いも浮き彫りになっています。
Y軸を問題点・課題とすれば、X軸にはタイ仏教(プラユキ氏)とミャンマー仏教(魚川氏)という
位置づけができる、複層的な構成を取った対談本です。
率直にいって、この書は「おもしろい」。
なんといっても「ガチンコ」「本音」です。
テーマのうち印象に残ったものをざっと挙げてみますと、
・仏教の目的が混乱している現実
・「正しい仏教」というキャッチフレーズが引き起こしている問題
・万能薬であるかのように喧伝されるテーラワーダ仏教の誇大広告の問題
・マインドフルネスの生みの親のジャックコンフィールド氏が悩んだエピソード
・アーチャン・チャー氏とマハシ氏における悟りの違い
・「瞑想難民」という問題
・三学システムを有さない「マインドフルネス」を巡る問題
・智慧のベクトルに止まるノンデュアリティの問題
・テーラワーダ原理主義の問題
最初、タイトルを見たとき「ギョ」っとしたものです。
しかし、これは本書をお読みになればおわかりの通りです。
「悟り」という結果を求めるのではなく、「いまここ」を続けていくことへの逆説的な表現であることと、
文字通り、普通の人が「悟り」を求めること無く現実の生活に仏教の瞑想を活かすという、
二つの意味が込められたタイトルなのでしょう。
タイトルが示すように、仏教における深い内容と、わかりやすい内容が混在しているのが
本書の特色ともなっています。
しかしながらキャッチーなタイトルなことは明かです。
タイトルだけを見れば誤読される確率は高いでしょう。
しかしながら、これはあえて刺激的なタイトルにして販促を狙う
出版社の戦略があるのではないかと思います。
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それはさておきまして、本書は、テーラーワ仏教における現実や問題点、課題といった
多岐にわたるテーマが次々と展開しながらも、
タイ仏教とミャンマー仏教の違いも浮き彫りになっています。
Y軸を問題点・課題とすれば、X軸にはタイ仏教(プラユキ氏)とミャンマー仏教(魚川氏)という
位置づけができる、複層的な構成を取った対談本です。
率直にいって、この書は「おもしろい」。
なんといっても「ガチンコ」「本音」です。
テーマのうち印象に残ったものをざっと挙げてみますと、
・仏教の目的が混乱している現実
・「正しい仏教」というキャッチフレーズが引き起こしている問題
・万能薬であるかのように喧伝されるテーラワーダ仏教の誇大広告の問題
・マインドフルネスの生みの親のジャックコンフィールド氏が悩んだエピソード
・アーチャン・チャー氏とマハシ氏における悟りの違い
・「瞑想難民」という問題
・三学システムを有さない「マインドフルネス」を巡る問題
・智慧のベクトルに止まるノンデュアリティの問題
・テーラワーダ原理主義の問題