アカウンタビリティを考える―どうして「説明責任」になったのか の感想
参照データ
タイトル | アカウンタビリティを考える―どうして「説明責任」になったのか |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 山本 清 |
販売元 | エヌティティ出版 |
JANコード | 9784757123090 |
カテゴリ | ジャンル別 » ビジネス・経済 » 実践経営・リーダーシップ » 企業経営 |
購入者の感想
著者は従来の著作に比べると難易度を下げているので,学生向けテキストという表現をしていますが,政治・経済通の人が読むべき本です。
そもそも日本では「アカウンタビリティ」=「説明責任」という同意・同義になってしまったのか,そのために日本では何が誤解されたり,弊害が起きているか,よく考察されています。
心理学などに多いのですが,外国語を日本語に訳すことを諦めてしまっている学問が多く,そのままカタカナ語で使うことがあります。しかし,その意味をちゃんと教えたり,世の中に浸透させないと大きな過ちを犯す可能性があります。
その点において,著者は正しく理解させようと,経済学者としての社会的責任を果たそうとしている律儀な一冊です。御用学者とタレント学者ばかりの世の中で,地道に研究している学者にリードをさせない日本社会は再生は難しいでしょうね。
そもそも日本では「アカウンタビリティ」=「説明責任」という同意・同義になってしまったのか,そのために日本では何が誤解されたり,弊害が起きているか,よく考察されています。
心理学などに多いのですが,外国語を日本語に訳すことを諦めてしまっている学問が多く,そのままカタカナ語で使うことがあります。しかし,その意味をちゃんと教えたり,世の中に浸透させないと大きな過ちを犯す可能性があります。
その点において,著者は正しく理解させようと,経済学者としての社会的責任を果たそうとしている律儀な一冊です。御用学者とタレント学者ばかりの世の中で,地道に研究している学者にリードをさせない日本社会は再生は難しいでしょうね。