外交ドキュメント 歴史認識 (岩波新書) の感想
参照データ
タイトル | 外交ドキュメント 歴史認識 (岩波新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 服部 龍二 |
販売元 | 岩波書店 |
JANコード | 9784004315278 |
カテゴリ | ジャンル別 » 社会・政治 » 軍事 » 軍事入門 |
購入者の感想
歴史教科書問題、靖国神社参拝、従軍慰安婦問題、河野談話、村山談話などを取りあげ、膨大な史料に照らして、日本政府の「政策」レベルでの歴史認識を跡づける(なお、著者は、歴史問題には「政策」「イメージ」「知識」「教育」「記憶」「感情」の6つの次元があるとする)。
素材の取捨選択、叙述のあり方によって著者のスタンスはおのずと滲み出てくるのだろうけれど、「本書の主たる目的は批評や提言ではなく、日本外交の視点から政策過程を分析すること」であり、「筆者が断を下すというよりも、読者のために材料を整理して提供(p.ii)」するものだとある通り、著者自身の解釈や主張はきわめて抑制的である。
そんななかでは、「村山談話は……日本政治の共通言語になってきたといえ……対外関係における言葉の重みを政策に活かしたまれな事例であった (p.172)」と、村山談話(とその継承)に対して高い評価をしているところが注目される。
「歴史問題で最も忌避すべき……国の内外で感情の応酬になること(p.250)」ことから逃れるための、本書は基礎的なテキストになるだろう。
素材の取捨選択、叙述のあり方によって著者のスタンスはおのずと滲み出てくるのだろうけれど、「本書の主たる目的は批評や提言ではなく、日本外交の視点から政策過程を分析すること」であり、「筆者が断を下すというよりも、読者のために材料を整理して提供(p.ii)」するものだとある通り、著者自身の解釈や主張はきわめて抑制的である。
そんななかでは、「村山談話は……日本政治の共通言語になってきたといえ……対外関係における言葉の重みを政策に活かしたまれな事例であった (p.172)」と、村山談話(とその継承)に対して高い評価をしているところが注目される。
「歴史問題で最も忌避すべき……国の内外で感情の応酬になること(p.250)」ことから逃れるための、本書は基礎的なテキストになるだろう。
本書は、「歴史認識」をめぐる日中・日韓関係に焦点を置き、日本の外交政策の政策過程を分析しようとするものである。また特徴として、「外交ドキュメント」とタイトルにあるように、「読者のために材料を整理して提供したい」という狙いを持っている。
本書の長所は、日本の戦後処理、韓国と中国との和解への取り組みについて、情報開示請求を積極的に利用して取得した多くの公文書を紹介するとともに、当事者へのインタビューを駆使して政策過程を詳細に明らかにしている点にある。短所とまではいいきれないが、いささか問題を感じる点が2点ある。第1は、著者自身の論や主張がほとんど展開されず、分析も決して深く掘り下げられてはおらず、ある程度この問題に知識がある読者にとっては物足りなさを覚えてしまうことである。ただしこの点はあまりにも一方的な主張が展開されやすいこの問題を扱う上では、長所と感じる読者もいるだろう。第2は、あくまでも日本の外交政策過程のみが分析の対象として扱われているために、韓国や中国の反応が断片的に現れるのみで、彼らの認識や論理、政策の背景などが理解できず、相手のみが不合理に見え、結果的に日本の立場を正当化しているように感じられる点である。これが著者の意図したことかどうかは定かではないが、淡々とした冷静な筆致とあいまって、この問題に詳しくない読者をミスリードする危険が高い。この問題を理解するための最初の一冊にはおすすめできない書である。
個別に目を引く内容としては、淡々とした叙述の中で明らかに力が入っているのが、村山談話の形成過程とその機能を論じる部分である。村山談話は従来官邸主導で作成されたとされてきたが、外務省、特に総合外交政策局を中心とした活動の役割が少なからずあったことを明らかにし、それが「和解政策として完成度の高い談話」であったと評価している。官僚に焦点を当て、その仕事を高く評価するという点では、著者の『日中国交正常化』(中公新書、2011)と同様の傾向が見られ、著者のもつ一定の傾向かもしれないが、村山談話の分析に関しては説得力が高い。ただし、にもかかわらず、その後「和解」がうまくいかず、むしろ問題が激化してしまった理由について、本書は十分に語ろうとしない。
本書の長所は、日本の戦後処理、韓国と中国との和解への取り組みについて、情報開示請求を積極的に利用して取得した多くの公文書を紹介するとともに、当事者へのインタビューを駆使して政策過程を詳細に明らかにしている点にある。短所とまではいいきれないが、いささか問題を感じる点が2点ある。第1は、著者自身の論や主張がほとんど展開されず、分析も決して深く掘り下げられてはおらず、ある程度この問題に知識がある読者にとっては物足りなさを覚えてしまうことである。ただしこの点はあまりにも一方的な主張が展開されやすいこの問題を扱う上では、長所と感じる読者もいるだろう。第2は、あくまでも日本の外交政策過程のみが分析の対象として扱われているために、韓国や中国の反応が断片的に現れるのみで、彼らの認識や論理、政策の背景などが理解できず、相手のみが不合理に見え、結果的に日本の立場を正当化しているように感じられる点である。これが著者の意図したことかどうかは定かではないが、淡々とした冷静な筆致とあいまって、この問題に詳しくない読者をミスリードする危険が高い。この問題を理解するための最初の一冊にはおすすめできない書である。
個別に目を引く内容としては、淡々とした叙述の中で明らかに力が入っているのが、村山談話の形成過程とその機能を論じる部分である。村山談話は従来官邸主導で作成されたとされてきたが、外務省、特に総合外交政策局を中心とした活動の役割が少なからずあったことを明らかにし、それが「和解政策として完成度の高い談話」であったと評価している。官僚に焦点を当て、その仕事を高く評価するという点では、著者の『日中国交正常化』(中公新書、2011)と同様の傾向が見られ、著者のもつ一定の傾向かもしれないが、村山談話の分析に関しては説得力が高い。ただし、にもかかわらず、その後「和解」がうまくいかず、むしろ問題が激化してしまった理由について、本書は十分に語ろうとしない。