「遊ぶ」が勝ち 『ホモ・ルーデンス』で、君も跳べ! (中公新書ラクレ) の感想
参照データ
タイトル | 「遊ぶ」が勝ち 『ホモ・ルーデンス』で、君も跳べ! (中公新書ラクレ) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 為末 大 |
販売元 | 中央公論新社 |
JANコード | 9784121504555 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » スポーツ・アウトドア » スポーツ |
購入者の感想
私は、読書家で一流のアスリートが、自らの言葉で綴った本が好きである。
特に、須藤元気氏、小久保裕紀氏、そして、この本の著者・為末大氏の文章を読む時には、いつも行間からスリリングな感覚が伝わってくる。
それは、一定レベルを超えた未知の領域の「境地」を、読者が理解できるようにと言語化し、伝えてくれる面白さなのであろう。
この著書からも、現役時代から変わらず人生の“探求者”であり続ける為末氏が、苦しみの末にたどり着いたある大切な「体感」を、「遊び」という言葉をキーワードにして、見事に伝えてくれている。
為末氏が、競技者としてスランプに陥った時に、どうやって脱出したか。
鈴を持って走り、その音に集中することで「忘我」の境地に至り、余計なことを「考える」ことから脱出した。
この「考えずに没頭する」状態こそ、まさに子供のころに経験した「遊び」に夢中になっている状態と同じであったことを思い出した。
そして、その「忘我の状態」をきっかけに、ホイジンガが名著『ホモ・ルーデンス』で指摘していることの数々が、実感と重なったのだという。
今回の著作は、その「遊び」をキーワードとして、『ホモ・ルーデンス』の言葉とリンクしながら、為末氏の持論を展開していくもの。
前半は、為末氏のこれまでの著作との重なりも結構あったかな、という印象であった。
私が、為末氏の新しい探求を感じたのは、後半の方であった。
今後、増えていく廃校を利用してのビジネスや、自ら企画したトークイベント「為末大学」での議論を通して、新しいスポーツを作ろうとの試み。
さらには、独特の身体感覚を持つアスリートの力を行政に生かせないか、など非常に興味深い提案がなされている。
仏法には、衆生が生まれてきた根本目的を「衆生所遊楽」との言葉で表現している。
社会の荒波をも「遊楽」するように生き抜く大切さを示している、と解せるのだろうか。
ある意味、今回の著作で為末氏が取り上げた「遊び」というテーマは、人が生まれてきた根本価値に通じるのではないか、とも感じた。
特に、須藤元気氏、小久保裕紀氏、そして、この本の著者・為末大氏の文章を読む時には、いつも行間からスリリングな感覚が伝わってくる。
それは、一定レベルを超えた未知の領域の「境地」を、読者が理解できるようにと言語化し、伝えてくれる面白さなのであろう。
この著書からも、現役時代から変わらず人生の“探求者”であり続ける為末氏が、苦しみの末にたどり着いたある大切な「体感」を、「遊び」という言葉をキーワードにして、見事に伝えてくれている。
為末氏が、競技者としてスランプに陥った時に、どうやって脱出したか。
鈴を持って走り、その音に集中することで「忘我」の境地に至り、余計なことを「考える」ことから脱出した。
この「考えずに没頭する」状態こそ、まさに子供のころに経験した「遊び」に夢中になっている状態と同じであったことを思い出した。
そして、その「忘我の状態」をきっかけに、ホイジンガが名著『ホモ・ルーデンス』で指摘していることの数々が、実感と重なったのだという。
今回の著作は、その「遊び」をキーワードとして、『ホモ・ルーデンス』の言葉とリンクしながら、為末氏の持論を展開していくもの。
前半は、為末氏のこれまでの著作との重なりも結構あったかな、という印象であった。
私が、為末氏の新しい探求を感じたのは、後半の方であった。
今後、増えていく廃校を利用してのビジネスや、自ら企画したトークイベント「為末大学」での議論を通して、新しいスポーツを作ろうとの試み。
さらには、独特の身体感覚を持つアスリートの力を行政に生かせないか、など非常に興味深い提案がなされている。
仏法には、衆生が生まれてきた根本目的を「衆生所遊楽」との言葉で表現している。
社会の荒波をも「遊楽」するように生き抜く大切さを示している、と解せるのだろうか。
ある意味、今回の著作で為末氏が取り上げた「遊び」というテーマは、人が生まれてきた根本価値に通じるのではないか、とも感じた。