モーツァルト (ちくま学芸文庫) の感想
参照データ
タイトル | モーツァルト (ちくま学芸文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 礒山 雅 |
販売元 | 筑摩書房 |
JANコード | 9784480095770 |
カテゴリ | エンターテイメント » 音楽 » クラシック » 18世紀・古典派以前 |
購入者の感想
音楽は私の不得意分野で、クラシックはヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルトのCDしか聴かないという偏りぶりである。こういう私にとっても、『モーツァルト』(礒山雅著、ちくま学芸文庫)は文句なしに面白かった。
特に興味深いのは、次の5点である。第1点は、世評とは異なり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは貧乏ではなかったということ。第2点は、地道なことは苦手な性格と思われるのに、自作品の詳細な目録を作成していたこと。第3点は、「成長する女性」が好みで、各オペラの中でそれを追求していること。第4点は、ゲーテとモーツァルトが互いを高く評価していたこと。第5点は、バッハとモーツァルトの音楽は異質であるが、モーツァルトがバッハから大きな影響を受けていたこと。
第1点に関して――「『貧しいモーツァルト』というイメージは、根強い。研究者がいかにそれを正そうとしても正しようがないほど、モーツァルトが孤独のうちに見捨てられ、募る貧困と戦いながら名作を綴ったという同情すべき物語は、世間に根を張っている」。著者は、こうしたイメージを粉砕すべく、モーツァルトの最後の4年間における「ふところ具合」を丹念に辿っている。
第2点について――「モーツァルトの作品は、Kという番号をつけて整理されている。Kはルートヴィヒ・フォン・ケッヒェル(1800~77)という人名のイニシャルである。ケッヒェルは、1862年にいわゆる『ケッヒェル目録』の第1版を出版し、その中で、モーツァルトの作品に成立年代順の番号を振った」。「(モーツァルトの)600曲を超える作品を年代順に並べることは、至難の業である。それが可能になったのはなにより、モーツァルト自身が、その後期に、自分の作品目録――通称『自作品目録』――を作成していたためにほかならない。モーツァルト自身が自分の作品をこのように『管理』していたということは、まことに注目すべき事実である」。なお、この自作品目録は、その後、若干の経緯を経て、ツヴァイクの入手するところとなる。ツヴァイクは、モーツァルトの遺品中、これを最も価値あるものと見做していたが、現在は大英図書館のライブラリーに収められている。
特に興味深いのは、次の5点である。第1点は、世評とは異なり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは貧乏ではなかったということ。第2点は、地道なことは苦手な性格と思われるのに、自作品の詳細な目録を作成していたこと。第3点は、「成長する女性」が好みで、各オペラの中でそれを追求していること。第4点は、ゲーテとモーツァルトが互いを高く評価していたこと。第5点は、バッハとモーツァルトの音楽は異質であるが、モーツァルトがバッハから大きな影響を受けていたこと。
第1点に関して――「『貧しいモーツァルト』というイメージは、根強い。研究者がいかにそれを正そうとしても正しようがないほど、モーツァルトが孤独のうちに見捨てられ、募る貧困と戦いながら名作を綴ったという同情すべき物語は、世間に根を張っている」。著者は、こうしたイメージを粉砕すべく、モーツァルトの最後の4年間における「ふところ具合」を丹念に辿っている。
第2点について――「モーツァルトの作品は、Kという番号をつけて整理されている。Kはルートヴィヒ・フォン・ケッヒェル(1800~77)という人名のイニシャルである。ケッヒェルは、1862年にいわゆる『ケッヒェル目録』の第1版を出版し、その中で、モーツァルトの作品に成立年代順の番号を振った」。「(モーツァルトの)600曲を超える作品を年代順に並べることは、至難の業である。それが可能になったのはなにより、モーツァルト自身が、その後期に、自分の作品目録――通称『自作品目録』――を作成していたためにほかならない。モーツァルト自身が自分の作品をこのように『管理』していたということは、まことに注目すべき事実である」。なお、この自作品目録は、その後、若干の経緯を経て、ツヴァイクの入手するところとなる。ツヴァイクは、モーツァルトの遺品中、これを最も価値あるものと見做していたが、現在は大英図書館のライブラリーに収められている。