君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作) の感想
参照データ
タイトル | 君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 吉野源三郎 |
販売元 | ポプラ社 |
JANコード | 9784591125403 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 倫理学・道徳 » 倫理学入門 |
購入者の感想
文庫本よりも字が大きく、挿絵もあって誰でも読みやすく
まとまっている。
漫画と違って、自分で登場人物をイメージすることができ、
小学5年生以上の読書にもふさわしいと思う。
高い漫画を買うより、コンパクトなポケット文庫を買った方が
どこでも読めるのでオススメです。
まとまっている。
漫画と違って、自分で登場人物をイメージすることができ、
小学5年生以上の読書にもふさわしいと思う。
高い漫画を買うより、コンパクトなポケット文庫を買った方が
どこでも読めるのでオススメです。
世の中を閉塞感が覆い、老若男女を問わずイライラしている人が増えました。バブルの後遺症で「恥」の文化も壊れました。「寛容」が失われ、自分とは異質なものや弱い立場のものに対する攻撃がまかり通る「包容力」のない社会が出来上がりました。心の優しい子ほど生きにくい世の中です。せめて、これから成長する子どもたちには良書に親しんで豊かな心を育んでもらいたいです。
1937年(昭和12年)初版の本を、著者が二度改訂しており、これは1967年の二度目の改訂後の本。岩波文庫からは初版のものが出ています。そちらは表現や内容は古いが詳しく、それはそれで味わいがありますが、あえてそちらを苦労して読まなくてもこのポプラ社の本で内容の奥深さ、著者の考えは十分伝わってきます。
子どもが天に愧じない大人になるための視座の持ち方を平易に書いてあり、岩波の後書きで丸山真男が述べているとおり、経済学・社会学に通じる話を学問の論から演繹して書いたような机上の話ではなく、子どもの体験を子どもの視点で書きながら、それがどんな意味を持つのかという学問上の命題に結びつけるところに吉野のすごさがあります。
子どもが天に愧じない大人になるための視座の持ち方を平易に書いてあり、岩波の後書きで丸山真男が述べているとおり、経済学・社会学に通じる話を学問の論から演繹して書いたような机上の話ではなく、子どもの体験を子どもの視点で書きながら、それがどんな意味を持つのかという学問上の命題に結びつけるところに吉野のすごさがあります。
二十余年の昔、中学時代に課題図書で読んだが、当時の私はとんでもなくバカだったこともあり、さっぱり読み取れなかった。また内容も覚えていなかった。
そして今、改めてこの本を手にした。なんと素晴らしい本なのか。再読の途中でありながら、感銘のあまりこうしてAmazonにレビューを書きたくて堪らなくなった。
内容については詳しくは控えよう。印象的なのは、文体が非常に鮮やかに、その情景をイメージさせてくれる点や、少年たちの様子が非常に生き生きとしてほほえましく、読んでて顔がほぐれてくるのである。コペル君の大学野球中継などはもう堪らない、大好きなシーンだ。
そして肝心要の『おじさんのノート』のパート。どんな説教臭い話であろうが、その語りかける口調はあくまでも優しく、そして温かい。読んでいると本当に、心が素直になる。そしておじさんの語りを通して著者のメッセージが心に染み入ってくるのである。
この著者も、よくもこんな素敵な文章を書けるものだと感心する。著者の人間性がひしひしと伝わってくるような気がする。案の定、著者の吉野源三郎先生は大変な好人物で人格者だったそうだ。
昨今、政府の右傾化が懸念され、過去にも増して正論が重視される社会になってきた気がする。国を運営するにあたっては、確かに正論はきわめて重要だ。綺麗事や理想論では国は破綻してしまうし、人命も守れまい。しかし、私たち一人ひとり、個人レベルの話においては、究極的に一番大切な事は何だかんだで『そこに優しさはあるか』とか『人として善くあること』なのだ。ここはその時代時代によって変化していくことではないし、変化していくべきでもないのだ。過去にも増してとかくシビアな現代社会において、それを改めて再認識するためにも、このような本が改めて読み直されなくてはならないのだ。
私はこの本がこの先百年、千年の未来にも伝わっていけばいいな、と本当に思う。そして人々に『善く生きるとはどういう事か?そのために大切な事は何か?』を問い続け、道標となる ーーー そうなって欲しいと願う。
そして今、改めてこの本を手にした。なんと素晴らしい本なのか。再読の途中でありながら、感銘のあまりこうしてAmazonにレビューを書きたくて堪らなくなった。
内容については詳しくは控えよう。印象的なのは、文体が非常に鮮やかに、その情景をイメージさせてくれる点や、少年たちの様子が非常に生き生きとしてほほえましく、読んでて顔がほぐれてくるのである。コペル君の大学野球中継などはもう堪らない、大好きなシーンだ。
そして肝心要の『おじさんのノート』のパート。どんな説教臭い話であろうが、その語りかける口調はあくまでも優しく、そして温かい。読んでいると本当に、心が素直になる。そしておじさんの語りを通して著者のメッセージが心に染み入ってくるのである。
この著者も、よくもこんな素敵な文章を書けるものだと感心する。著者の人間性がひしひしと伝わってくるような気がする。案の定、著者の吉野源三郎先生は大変な好人物で人格者だったそうだ。
昨今、政府の右傾化が懸念され、過去にも増して正論が重視される社会になってきた気がする。国を運営するにあたっては、確かに正論はきわめて重要だ。綺麗事や理想論では国は破綻してしまうし、人命も守れまい。しかし、私たち一人ひとり、個人レベルの話においては、究極的に一番大切な事は何だかんだで『そこに優しさはあるか』とか『人として善くあること』なのだ。ここはその時代時代によって変化していくことではないし、変化していくべきでもないのだ。過去にも増してとかくシビアな現代社会において、それを改めて再認識するためにも、このような本が改めて読み直されなくてはならないのだ。
私はこの本がこの先百年、千年の未来にも伝わっていけばいいな、と本当に思う。そして人々に『善く生きるとはどういう事か?そのために大切な事は何か?』を問い続け、道標となる ーーー そうなって欲しいと願う。