街道をゆく (40) (朝日文芸文庫) の感想
参照データ
タイトル | 街道をゆく (40) (朝日文芸文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 司馬 遼太郎 |
販売元 | 朝日新聞社 |
JANコード | 9784022641489 |
カテゴリ | 文学・評論 » エッセー・随筆 » 日記・書簡 » 日本文学 |
購入者の感想
まだ全シリーズは読めてないのだが、今まで読んだ中では最もおすすめ。
残念ながら今となっては李登輝氏が政権を去って久しいが、
本書では「新しい台湾」が生まれたばかりの躍動感を嬉々としてリポートしている。
この沸き立つような言祝ぎ(ことほぎ)は、司馬遼太郎のマイノリティ好きに端を発している。
本書を読めば分かるのだが、今でさえ、アジアに存在する国やエリア――「台湾」は後者である――の中で、
「中華民国」ないし「台湾」ほど甚だしい政治的マイノリティも珍しい。
その台湾で抑圧されてきた本省人(広義の台湾土着人)が国家元首に就くことが、
そして本省人の手によって民主化されてゆくことが、
司馬遼太郎にはどれほどめでたいことだったか、
それは彼の物書きとしての信条を崩してまで、
政治的対立のある一方の政治家に強い思い入れを見せたことでも分かる。
この司馬の行動は当時多少ならぬ波紋となったようだ。
もちろん台湾の政治的立場にあって、
「日本」や「日本人」に対して格別のサービスを見せることは、
当時の「中華民国総統」李登輝氏にとってもかなり複雑な政治的効果を生む「敢為の行動」であり、
これら、相互のこもごもを日本語の慣用句で表現するなら、
レビュータイトルの「清水の舞台から飛び降りた」というような言葉になる。
好き嫌いや評価するしないは読んだ後、まず一読の価値はあると思う。
残念ながら今となっては李登輝氏が政権を去って久しいが、
本書では「新しい台湾」が生まれたばかりの躍動感を嬉々としてリポートしている。
この沸き立つような言祝ぎ(ことほぎ)は、司馬遼太郎のマイノリティ好きに端を発している。
本書を読めば分かるのだが、今でさえ、アジアに存在する国やエリア――「台湾」は後者である――の中で、
「中華民国」ないし「台湾」ほど甚だしい政治的マイノリティも珍しい。
その台湾で抑圧されてきた本省人(広義の台湾土着人)が国家元首に就くことが、
そして本省人の手によって民主化されてゆくことが、
司馬遼太郎にはどれほどめでたいことだったか、
それは彼の物書きとしての信条を崩してまで、
政治的対立のある一方の政治家に強い思い入れを見せたことでも分かる。
この司馬の行動は当時多少ならぬ波紋となったようだ。
もちろん台湾の政治的立場にあって、
「日本」や「日本人」に対して格別のサービスを見せることは、
当時の「中華民国総統」李登輝氏にとってもかなり複雑な政治的効果を生む「敢為の行動」であり、
これら、相互のこもごもを日本語の慣用句で表現するなら、
レビュータイトルの「清水の舞台から飛び降りた」というような言葉になる。
好き嫌いや評価するしないは読んだ後、まず一読の価値はあると思う。
台湾2300万人はモザイク社会。
98%の漢民族と2%原住民、または85%の本省人(400年前に大陸から渡来し、日本統治時代を体験した)と、15%の外省人(50年前に大陸から蒋介石とともに渡来したグループ)、もしくは客家人、福建人などのグループなどでも細分化される。相互の混血も進んでいる。
つまり軸足の置き方ひとつで風景は変化するのだが、司馬氏は、かつてこの島を統治した日本人として最低限、知っておくべき視点を(本書の登場までそれがあまりにもないがしろにされていただけに)計算ずくで、ドラマチックに紹介したのだろう。
それは、「現実の政治には立ち入らない」という「街道を行く」シリーズでの自戒を破り、日中文化交流協会代表理事の身でありながら、李登輝総統(当事)と堂々と対談し、それをあえて巻末に掲載したことや、「北京の要人に読ませるつもりで書いた」との関連発言、古くは「長安から北京へ」の中で、中国のイデオロギー第一の教育に「アホかいな」とかみついた伏線などからもうかがえる。
初出は週刊朝日の連載なのだが、当時は北京に気兼ねする朝日新聞が、台北に支局を置いていなかったため、氏の古巣の産経新聞の人脈を前面に出すなど万事が異例づくめ。
後に「この本を書くために生まれてきた」とまで語っていることから、代表作「竜馬がゆく」で、大政奉還を「竜馬と徳川慶喜の合作」としたように、台湾の存立で、自らと李登輝の対談を重ねた、と見るのは、うがちすぎだろうか。
行間には「近代東アジアの歴史へのかなしみ」ともいうべき視点が潜んでいるため、本書以後の台湾ブームで生じた「台湾はマル、大陸はペケ」といわんばかりの、関連書籍のような軽薄さはまったく感じられない。
「土地と日本人」や、最末期の「風塵抄」などとともに、司馬氏が「作家」や「評論家」の仮面を捨てて、「新聞記者」もしくは「国士」の素顔を見せた希少な著書である。0
98%の漢民族と2%原住民、または85%の本省人(400年前に大陸から渡来し、日本統治時代を体験した)と、15%の外省人(50年前に大陸から蒋介石とともに渡来したグループ)、もしくは客家人、福建人などのグループなどでも細分化される。相互の混血も進んでいる。
つまり軸足の置き方ひとつで風景は変化するのだが、司馬氏は、かつてこの島を統治した日本人として最低限、知っておくべき視点を(本書の登場までそれがあまりにもないがしろにされていただけに)計算ずくで、ドラマチックに紹介したのだろう。
それは、「現実の政治には立ち入らない」という「街道を行く」シリーズでの自戒を破り、日中文化交流協会代表理事の身でありながら、李登輝総統(当事)と堂々と対談し、それをあえて巻末に掲載したことや、「北京の要人に読ませるつもりで書いた」との関連発言、古くは「長安から北京へ」の中で、中国のイデオロギー第一の教育に「アホかいな」とかみついた伏線などからもうかがえる。
初出は週刊朝日の連載なのだが、当時は北京に気兼ねする朝日新聞が、台北に支局を置いていなかったため、氏の古巣の産経新聞の人脈を前面に出すなど万事が異例づくめ。
後に「この本を書くために生まれてきた」とまで語っていることから、代表作「竜馬がゆく」で、大政奉還を「竜馬と徳川慶喜の合作」としたように、台湾の存立で、自らと李登輝の対談を重ねた、と見るのは、うがちすぎだろうか。
行間には「近代東アジアの歴史へのかなしみ」ともいうべき視点が潜んでいるため、本書以後の台湾ブームで生じた「台湾はマル、大陸はペケ」といわんばかりの、関連書籍のような軽薄さはまったく感じられない。
「土地と日本人」や、最末期の「風塵抄」などとともに、司馬氏が「作家」や「評論家」の仮面を捨てて、「新聞記者」もしくは「国士」の素顔を見せた希少な著書である。0