心の発見 (神理篇) の感想
参照データ
タイトル | 心の発見 (神理篇) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 高橋 信次 |
販売元 | 三宝出版 |
JANコード | 9784879280015 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 宗教 » 宗教入門 |
購入者の感想
「インドの時代の釈迦の教え、イスラエル時代のイエスの教えにもどり、偉大な心の尊厳を知り、調和のある社会を築くことが、必要なのである。
しかし仏教もキリスト教も、あまりにも人々の智と意によって改められすぎている。そのために、大自然を支配している意識、すなわち神仏は偶像化され、さらに光の天使達も偶像化され、拝む宗教のはんらんに侵された末法の世となってしまったのである。
キリストの教えも釈迦の教えも、その真髄が分からなくなってしまったため、多くの衆生は、神仏の名のもとに祈ることが宗教である、と考えるようになり、一握りの悪質な宗教者によって、食い荒らされる宗教となり果ててしまった。」
生活の中で、マンネリズムになってしまった信仰は、一日の形式的行事におちいっている。
「仏教とはむずかしいもので、その真髄をきわめることは困難である」と仏弟子であるはずの、僧侶達までが、このようなことをいっている時代なのである。
智的で、我流の解釈の成立している姿が、現代の仏教なのである。
人間の在り方を教えている仏教が、なぜ哲学にならねばならないのか。なぜきびしい戒律によって、一定律を作らねばならないのか。私には疑問である。
多くの衆生は、仏教から遠くなった。時の権力者や、貴族、僧侶達のための哲学と化した宗教は、すでに真の心のものではない。」
しかし仏教もキリスト教も、あまりにも人々の智と意によって改められすぎている。そのために、大自然を支配している意識、すなわち神仏は偶像化され、さらに光の天使達も偶像化され、拝む宗教のはんらんに侵された末法の世となってしまったのである。
キリストの教えも釈迦の教えも、その真髄が分からなくなってしまったため、多くの衆生は、神仏の名のもとに祈ることが宗教である、と考えるようになり、一握りの悪質な宗教者によって、食い荒らされる宗教となり果ててしまった。」
生活の中で、マンネリズムになってしまった信仰は、一日の形式的行事におちいっている。
「仏教とはむずかしいもので、その真髄をきわめることは困難である」と仏弟子であるはずの、僧侶達までが、このようなことをいっている時代なのである。
智的で、我流の解釈の成立している姿が、現代の仏教なのである。
人間の在り方を教えている仏教が、なぜ哲学にならねばならないのか。なぜきびしい戒律によって、一定律を作らねばならないのか。私には疑問である。
多くの衆生は、仏教から遠くなった。時の権力者や、貴族、僧侶達のための哲学と化した宗教は、すでに真の心のものではない。」