遊動論 柳田国男と山人 (文春新書) の感想
参照データ
タイトル | 遊動論 柳田国男と山人 (文春新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 柄谷 行人 |
販売元 | 文藝春秋 |
JANコード | 9784166609536 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 文化人類学・民俗学 » 文化人類学一般 |
購入者の感想
「柳田國男」を理解するには、もちろん柳田の著作そのものに就くの他はありませんが、柄谷氏の「交換様式D」論が今日如何にして可能である(可能となる)のかを自分なりに考える者として、本書の柳田論は裨益するところ大でした。(備忘のため引用しておきたい部分が実に多くありましたが、所論の要約としてのみ次の二箇所をメモしておきたいと思います。)
「資本=ネーション=国家を越える手がかりは、やはり、遊動性にある。ただし、それは遊牧民的な遊動性ではなく、狩猟採集民的な遊動性である。定住以後に生じた遊動性、つまり、遊牧民、山地人あるいは漂泊民の遊動性は、定住以前にあった遊動性を真に回復するものではない。かえって、それは国家と資本の支配を拡張するものである。・・・ 交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることはできる」(192~193頁)。
「定住農民(常民)に焦点を移しつつ、彼は「山人」の可能性を執拗に追求したのである。最終的に、彼はそれを「固有信仰」の中に見出そうとした。彼がいう日本人の固有信仰は、稲作農民以前のものである。つまり、日本に限定されるものではない。また、それは最古の形態であるとともに、未来的なものである。すなわち、柳田がそこに見いだそうとしたのは、交換様式Dである」(195頁)。
なお、巻末の「柳田国男年譜」(205~213頁)は大変便利です。0
「資本=ネーション=国家を越える手がかりは、やはり、遊動性にある。ただし、それは遊牧民的な遊動性ではなく、狩猟採集民的な遊動性である。定住以後に生じた遊動性、つまり、遊牧民、山地人あるいは漂泊民の遊動性は、定住以前にあった遊動性を真に回復するものではない。かえって、それは国家と資本の支配を拡張するものである。・・・ 交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることはできる」(192~193頁)。
「定住農民(常民)に焦点を移しつつ、彼は「山人」の可能性を執拗に追求したのである。最終的に、彼はそれを「固有信仰」の中に見出そうとした。彼がいう日本人の固有信仰は、稲作農民以前のものである。つまり、日本に限定されるものではない。また、それは最古の形態であるとともに、未来的なものである。すなわち、柳田がそこに見いだそうとしたのは、交換様式Dである」(195頁)。
なお、巻末の「柳田国男年譜」(205~213頁)は大変便利です。0