ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書) の感想
参照データ
タイトル | ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 師岡 康子 |
販売元 | 岩波書店 |
JANコード | 9784004314608 |
カテゴリ | ジャンル別 » 社会・政治 » 社会学 » 社会学概論 |
購入者の感想
ユーチューブにアップされたヘイトスピーチは視聴するだけで体力をかなり消耗する。でも、マジョリティにいる者は知っておく必要がある。それが私たちの現実だから。部落差別への言及もなされており、ヘイトスピーチを知るためには絶好の入門書であり、闘うための実用書でもある。
日本社会に蔓延するヘイトに対する法規制を積極的に導入せよと主張するものです。
とりわけ在日コリアンを標的とするヘイトの現状、ヘイトを問題視する様々な取り組み、
そもそも「ヘイト」とは何か、国際的な合意が奈辺にあるか、諸外国の取り組み、当の
問題に対する日本国内の言論状況など、非常に広汎にわたるトピックを要領よくまとめ
ており、非常に勉強になります。
しかしながら、表現の自由に立脚する慎重論の受け止め方が十分でない、どういう
立脚点から差別に反対するかという点が不明瞭であったりなど、いくつか疑問点もなし
とは言えませんが、新書であることからも、問題の紹介としてはお勧めできます。
さらに、本書で【論じられていないこと】こそ、今後、慎重に検討されねばならないという
意味でも、十分な役割を果たしていると思えます。
本書で論じられてないことは、(1)どうして法規制なのかという説得(他の抑制手段との得
失比較論)、(2)諸外国の規制導入にあたってなされたであろう議論の紹介(結果としての
現にある規制の紹介ではなく、その規制に至るまでの様々な立場相互の論争の紹介。諸
外国の規制は、さまざまに変遷しているので、そうした規制の再検討や運用上、提起された
であろう議論をこそ参照すべきです。)、(3)規制の効果(諸外国の規制は、実際に有効で
あるのかどうか)・・・といったものです。
本書の記述を通して、基礎知識を得た上で、より建設的に、そしてより公正な社会を
めざすために、私たちは何を吟味しなければいけないのかが明らかになると思えます。
なお、新書であり、問題の所在を知らしめることに注力した結果、やむを得ないものかとも
思いますが、本書の記述は「丁寧」ではありません。
とりわけ在日コリアンを標的とするヘイトの現状、ヘイトを問題視する様々な取り組み、
そもそも「ヘイト」とは何か、国際的な合意が奈辺にあるか、諸外国の取り組み、当の
問題に対する日本国内の言論状況など、非常に広汎にわたるトピックを要領よくまとめ
ており、非常に勉強になります。
しかしながら、表現の自由に立脚する慎重論の受け止め方が十分でない、どういう
立脚点から差別に反対するかという点が不明瞭であったりなど、いくつか疑問点もなし
とは言えませんが、新書であることからも、問題の紹介としてはお勧めできます。
さらに、本書で【論じられていないこと】こそ、今後、慎重に検討されねばならないという
意味でも、十分な役割を果たしていると思えます。
本書で論じられてないことは、(1)どうして法規制なのかという説得(他の抑制手段との得
失比較論)、(2)諸外国の規制導入にあたってなされたであろう議論の紹介(結果としての
現にある規制の紹介ではなく、その規制に至るまでの様々な立場相互の論争の紹介。諸
外国の規制は、さまざまに変遷しているので、そうした規制の再検討や運用上、提起された
であろう議論をこそ参照すべきです。)、(3)規制の効果(諸外国の規制は、実際に有効で
あるのかどうか)・・・といったものです。
本書の記述を通して、基礎知識を得た上で、より建設的に、そしてより公正な社会を
めざすために、私たちは何を吟味しなければいけないのかが明らかになると思えます。
なお、新書であり、問題の所在を知らしめることに注力した結果、やむを得ないものかとも
思いますが、本書の記述は「丁寧」ではありません。
近年、「行動する保守」などと称する人たちによるヘイト・スピーチが、ネットにとどまらず現実社会に大手を振って現れるようになった。この現象に対して、ある人は「表現の自由」だといい、ある人は「表現の自由の範疇を超えるものであり規制されるべき」だといい、多くの人は「どうでもいい」と考えているようである。
本書は、弁護士として活動する中でヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムのもたらす深刻な被害に気づいた筆者が、ヘイト・スピーチ等の規制に関する国際的な現状を研究した成果をまとめた入門書である。著者は、ヘイト・スピーチの悪質なものは法的に規制されるべきだと考える立場であり、法規制の必要性、許容性、その在り方について丁寧に論じており、説得力がある。ヘイト・スピーチを野放しにすることが、ナチスによる民主主義の破壊とアウシュビッツ、戦争の惨禍を招き、関東大震災時の日本人集団による朝鮮人虐殺を招いた。そうした歴史も概説されており、現在の日本に重なって見えるところがある。その意味でも本書は、ヘイト・スピーチは「自分には無関係の問題だ」と考えている人たちにも、ぜひとも広く読まれるべき1冊だといえよう。
本書の魅力は、多角的な観点からヘイト・スピーチ規制に関する問題を扱っている点である。章別に分けると、(1)「在特会」らはなにも突然現れた異様な怪物などではなく著名政治家たちや日本政府の政策によって発生の土壌が用意されてきたこと(第1章)、(2)ヘイト・スピーチとはどのようなものであり、その規制がなぜ必要なのかということ(第2章)、(3)ヘイト・スピーチの法的規制を選んだ諸外国はどのような経緯でどのような規制を設けてきたのかということ(第3章)、(4)ヘイト・スピーチ規制についての慎重論についての法的検討(第4章)、(5)日本でいかなる規制がなされていくべきなのか(第5章)という、5つの視点である。
第1章を読めば、日本社会の状況がどれほど陰惨たるものか、痛切に実感できるだろう。第2章で描かれる、ヘイト・スピーチの対象とされたマイノリティ集団の人たちにもたらされる被害の深刻さに、この社会のマジョリティを自認する人たちは、目をつむるべきではあるまい。
本書は、弁護士として活動する中でヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムのもたらす深刻な被害に気づいた筆者が、ヘイト・スピーチ等の規制に関する国際的な現状を研究した成果をまとめた入門書である。著者は、ヘイト・スピーチの悪質なものは法的に規制されるべきだと考える立場であり、法規制の必要性、許容性、その在り方について丁寧に論じており、説得力がある。ヘイト・スピーチを野放しにすることが、ナチスによる民主主義の破壊とアウシュビッツ、戦争の惨禍を招き、関東大震災時の日本人集団による朝鮮人虐殺を招いた。そうした歴史も概説されており、現在の日本に重なって見えるところがある。その意味でも本書は、ヘイト・スピーチは「自分には無関係の問題だ」と考えている人たちにも、ぜひとも広く読まれるべき1冊だといえよう。
本書の魅力は、多角的な観点からヘイト・スピーチ規制に関する問題を扱っている点である。章別に分けると、(1)「在特会」らはなにも突然現れた異様な怪物などではなく著名政治家たちや日本政府の政策によって発生の土壌が用意されてきたこと(第1章)、(2)ヘイト・スピーチとはどのようなものであり、その規制がなぜ必要なのかということ(第2章)、(3)ヘイト・スピーチの法的規制を選んだ諸外国はどのような経緯でどのような規制を設けてきたのかということ(第3章)、(4)ヘイト・スピーチ規制についての慎重論についての法的検討(第4章)、(5)日本でいかなる規制がなされていくべきなのか(第5章)という、5つの視点である。
第1章を読めば、日本社会の状況がどれほど陰惨たるものか、痛切に実感できるだろう。第2章で描かれる、ヘイト・スピーチの対象とされたマイノリティ集団の人たちにもたらされる被害の深刻さに、この社会のマジョリティを自認する人たちは、目をつむるべきではあるまい。