「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫) の感想

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タイトル「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)
発売日販売日未定
製作者九鬼 周造
販売元岩波書店
JANコード9784003314616
カテゴリ » ジャンル別 » 文学・評論 » 評論・文学研究

購入者の感想

大正〜昭和時代の哲学者・九鬼周造(1888〜1941年)の代表的著作。
著者は1921〜29年に欧州に留学し、パリの哲学界で若い俊秀として認められ、ハイデッガーやベルクソンからも評価を受けていたという。
著者は、「「いき」は欧洲語としては単に類似の語を有するのみで全然同価値の語は見出し得ない。したがって「いき」とは東洋文化の、否、大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支ない」と、ソシュールの言語学的アプローチから、「いき」を「わが民族に独自な「生き」かたの一つ」と述べている。
そして、その日本人の生き方の美意識の基本的構造を、古典的ヨーロッパ哲学の論法で分析したのである。
著者による、「いき」の内包的な特徴・性質は以下である。
◆第一に、異性に対する「媚態」、即ち、異性を意識した「なまめかしさ」、「つやっぽさ」、「色気」であり、異性との関係が「いき」の原本的存在を形成している。
◆第二に、「意気」即ち「意気地」であり、江戸っ子の気概が含まれる。「武士は食わねど高楊枝」の、溌剌とした武士道の理想が生きている。
◆第三に、「諦め」、即ち、運命に対する執着を離脱した無関心である。垢抜けがしてなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。無常等を原理とする仏教の世界観である。
更に、著者は、「いき」の芸術形式として、模様は「縦縞」、「曲線」ではなく「直線」、「絵画的模様」ではなく「幾何学的模様」、色は「鼠色、褐色、紺や藍」などと、我々のファッションにも役に立つような具体的な内容も述べている。
最近ではあまり耳にすることがなくなった「いき」という言葉であるが、ある言葉が使われなくなるということは、その言葉の表す「概念」、「価値」が失われることと同義である。「いき」の表す日本人の生き方の美意識を再認識するとともに、言葉が生まれること・無くなることの意味を改めて感じる。
(2010年7月了)

つくづく奇書。ときまさに大日本帝國がさらなる膨張を果たし、
後戻りできないところまで戦争に踏み込んでゆく1930年、
ドイツ、フランス帰りの京大の哲学の先生は、
新カント学派、ベルグソン、ハイデガーを学んで、
そして男女の色恋の「いき」を論じる日本文化賛歌を書いた。

著者は書く、
カルメンがハバネラを歌いつつドン・ジョゼに媚びる態度は
コケットリーでではあっても決して「いき」ではない。
「いき」は、大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つである。

「いき」は、異性に対する「媚態」である。
「いき」のうちに見られる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」、
(女が男にやれそうな期待を与えるところに、「いき」が宿る。
しかし、やってしまえば、粋は消滅する。)
永井荷風が『歓楽』で書く、
「得ようとして得た後の女ほど、なさけないものはない」

「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。
「いき」は、江戸文化の道徳的理想が反映されている。
野暮と化物とは箱根より東に住まぬ。
命をも惜しまない町火消、
鳶者は寒くても白足袋はだし、法被一枚の「男伊達」を粋がった。
「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳の侠骨(きょうこつ)」が必要。
犯すべからざる気品・気格がなければ。

「いき」は「諦め」として表れもする。
魂を打込んだ真心が幾度か無惨に裏切られ、
悩みに悩みを嘗めて鍛えられた心が
いつわりやすい目的に目をくれなくなるのである。
異性に対する淳朴な信頼を失ってさっぱりと諦める心は
決して無代価で生れたものではない。

姿勢を軽く崩すことが「いき」。
うすものを身に纏うことが「いき」。
「明石から ほのぼのとすく 緋縮緬(ひぢりめん)」という句がある、
明石縮(あかしちぢみ)を着た女の、緋の襦袢が透いて見えること。

湯上り姿も「いき」。

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