1Q84 BOOK 3 の感想
参照データ
タイトル | 1Q84 BOOK 3 |
発売日 | 2010-04-16 |
製作者 | 村上 春樹 |
販売元 | 新潮社 |
JANコード | 9784103534259 |
カテゴリ | 文学・評論 » 文芸作品 » 日本文学 » ま行の著者 |
購入者の感想
「風の歌を聴け」の頃の村上春樹が懐かしい。
あの頃のさわやかな読後感は、残念ながらもうない。
「あらゆるものは通り過ぎる。
だれもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。」
「ビーチボーイズは久しぶりに新しいLPを出した。
…素敵な女の子がみんな、カリフォルニア・ガールならね…」
あのころが懐かしい。
ノーベル文学賞なんてとらなくていいから、
あの頃のような素敵な作品を、また書いて欲しい。
あの頃のさわやかな読後感は、残念ながらもうない。
「あらゆるものは通り過ぎる。
だれもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。」
「ビーチボーイズは久しぶりに新しいLPを出した。
…素敵な女の子がみんな、カリフォルニア・ガールならね…」
あのころが懐かしい。
ノーベル文学賞なんてとらなくていいから、
あの頃のような素敵な作品を、また書いて欲しい。
物語の終わりをなんとか作り出したという印象を受けた。
book2までばら蒔いた沢山の伏線は曖昧に消え失せて
なんとなく作者が苦慮して話を終らせた三巻目な感じで、
話として魅力的な部分は無い。
2で登場した河牛は単なる怪しい探偵だったし
連続殺人を犯した青豆は、
すっかり恋愛モードの乙女になり、
自分のしてきた事の重みは無いようだし、
周りで起き続けた猟奇的な出来事にもとくに何も感じなくなってるよう。
普通なら警察が追う可能性だとか、あらゆる精神的葛藤を背負うはずだろうとおもうけど、
その辺のめんどくささは一才排除して
物語は、
散りばめた意味深そうな?議題の上部だけすくいとって軽いテイストに収束した。(これで終わりなのかは分からないけど)
本巻は、
book2で撒いてきた不可思議な出来事の回収というか、
ケジメみたいの着けようとするんだけど、
いくら言葉を尽くしても説得力を獲得出来ず、
結局うやむやになり終わりになってしまう。
同じように不可思議な話だったねじまき鳥のに比べても、話しに引力がなくて読み進めるのが退屈だった。
結局、1Q84という話しは、
70年代から90年代にかけての、共産主義的なコミューンやヒッピー達、オウムのような新興宗教が、今の世界に拒否されたり解体された後にも、
多分色濃く幻影を残していて、
それが人の心にどう深く影響していっているのか、
その核心みたいのを
まとめて(現代的な恋愛や、
人智を超えた何かを面白く描いて)総決算したかった作品なのかなあと自分は解釈したけど、
深くは入ることが出来ないままなにも描けなかったんでは無いかと思った。
この小説を書いた人がノーベル賞候補者だなんて、
ノーベル賞というのは下らないものなのかなあと思う。
どうして村上は世界に受けるのか、
book2までばら蒔いた沢山の伏線は曖昧に消え失せて
なんとなく作者が苦慮して話を終らせた三巻目な感じで、
話として魅力的な部分は無い。
2で登場した河牛は単なる怪しい探偵だったし
連続殺人を犯した青豆は、
すっかり恋愛モードの乙女になり、
自分のしてきた事の重みは無いようだし、
周りで起き続けた猟奇的な出来事にもとくに何も感じなくなってるよう。
普通なら警察が追う可能性だとか、あらゆる精神的葛藤を背負うはずだろうとおもうけど、
その辺のめんどくささは一才排除して
物語は、
散りばめた意味深そうな?議題の上部だけすくいとって軽いテイストに収束した。(これで終わりなのかは分からないけど)
本巻は、
book2で撒いてきた不可思議な出来事の回収というか、
ケジメみたいの着けようとするんだけど、
いくら言葉を尽くしても説得力を獲得出来ず、
結局うやむやになり終わりになってしまう。
同じように不可思議な話だったねじまき鳥のに比べても、話しに引力がなくて読み進めるのが退屈だった。
結局、1Q84という話しは、
70年代から90年代にかけての、共産主義的なコミューンやヒッピー達、オウムのような新興宗教が、今の世界に拒否されたり解体された後にも、
多分色濃く幻影を残していて、
それが人の心にどう深く影響していっているのか、
その核心みたいのを
まとめて(現代的な恋愛や、
人智を超えた何かを面白く描いて)総決算したかった作品なのかなあと自分は解釈したけど、
深くは入ることが出来ないままなにも描けなかったんでは無いかと思った。
この小説を書いた人がノーベル賞候補者だなんて、
ノーベル賞というのは下らないものなのかなあと思う。
どうして村上は世界に受けるのか、