日本の弓術 (岩波文庫) の感想

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参照データ

タイトル日本の弓術 (岩波文庫)
発売日販売日未定
製作者オイゲン ヘリゲル
販売元岩波書店
JANコード9784003366110
カテゴリ » ジャンル別 » スポーツ・アウトドア » スポーツ

購入者の感想

弓術は、弓と矢をもって外的に何事かを行おうとするのではなく、
自分自身を相手にして内的に何事かを果たそうとすること。

本書では弓道を切り口に語るが、xx道という古来より日本で修練されてきた「術」は、
他者と競う西洋スポーツの概念の真逆であり、自己と向き合い純粋に精神的な鍛錬を積み重ねるということだろう。

的の真ん中を矢で中てる弓術において、的を狙わずに自分自身を狙う、
さすれば、的は私の方へ近づいてきて私と一体になると先生から著者は指導されるが、
西洋人代表の彼が「why japanese pepople」と反論してしまう気持ちが分からなくもない。

的を中てるという行為を表面上の世界で考えている著者、一方、
その裏側にある科学や論理では説明がつかない、神秘性や精神性の世界である無我の境地の世界で語る先生。

当初、先生と著者の議論は平行線をたどるが、流石は哲人のオイゲン氏である。
ある日を境に、彼は疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりと諦め、
成果を求めず稽古(自己と向き合い)を続け、畢竟、極意を学び得た。

千日、万日の鍛錬を積み重ねても無我の境地に至ることは我々には困難かもしれないが、
オイゲン氏が無我の境地にどうやって至ったのかは、本書を読めば理解は出来るはずだ。

オイゲン・ヘリゲルさん、柴田治三郎さん、そして、阿波研造さん、有難うございました。

以下、気に入ったフレーズ

弓と矢は必ずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託に過ぎない。
目的に至る道であって、目的そのものではない。この道の通じるべき目的そのものは、
簡単にいってしまえば、神秘的合一、神性との一致、仏陀の発想である。

あなたは全然なにごとをも、待っても考えても感じても欲してもいけないのである。
術のない術とは、完全に無我となり、我を没することである。あなたがまったく無になるということが、
ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる。

本書は、中島敦「名人伝」のような弓の求道を、日本の達人に師事して達成したドイツ人へリゲル氏の不思議な実話(1926〜1931)です。日本人にとっても、奥義は、不合理・非論理・神秘に思える。それを論理的な西洋人が求めたのですから稀有な出来事です。

 「あなたは弓を腕の力で引いてはいけない。心で引くこと」や「あなたがまったく無になる、ということが、ひとりでに起これば、そのとき正しい射方ができるようになる」、非合理と神秘に満ちた修行の体得に4年間を要したのは頷けます。

 最後の課題「的を射る」は超難関でした。「的を狙ってはいけない。心を深く凝らせば、的と自分が一体となる。自分自身を射なさい」にへリゲル氏は不可能感を抱き、完全に行き詰まる。阿波師範は「的を狙わずに射中てることなどできる訳がないと思う不信感」を除くために、深夜に実演してみせる。微かな線香の灯が方向を示すだけで、的は暗がりの中に没し見えない。師は2本の矢を続けて射た。へリゲル氏が確認すると第一の矢は的の真ん中を刺し、第二の矢は第一の矢の軸を貫き、第一の矢軸を2つに割っていた。師範は言う「こんな暗さでいったい狙うことができるものか、良く考えてごらんなさい。的の前では仏陀の前に頭を下げると同じ気持ちになろうではありませんか」

 ヘリゲル氏は驚愕したに違いない。以来、疑うことも問うことも思い煩うこともきっぱりと諦め、精進した。こうして、苦節5年間の後、「無の射」を体得した。その完成の域が「不射の射」であることも理解したという。長い歳月を経て、氏は死の直前、出版予定だった弓道と禅思想に関する自身の膨大な原稿を燃やした。そして安らかに亡くなったという。師の教えに従って無に抱かれたのでしょう。

 ほとんどの日本人には、何らかについて名人・達人になる素質があると思います。技術であれ、スポーツであれ、芸術であれ、何かを極めようとする場合、本書は貴重な参考情報を提供してくれるのではないでしょうか。

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