「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について の感想
参照データ
タイトル | 「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 高橋 源一郎 |
販売元 | 河出書房新社 |
JANコード | 9784309020921 |
カテゴリ | 文学・評論 » エッセー・随筆 » 著者別 » た行の著者 |
購入者の感想
高橋源一郎も60歳を超えた。デビュー以来物議を醸しながら、三島以降の戦後日本文学史に村上春樹とも村上龍とも違う大きな痕跡を残した著者だったが、いまや鶴見俊輔の衣鉢を継ぐ老師のようでもある。震災以降(いや『「悪」と戦う』もすでに)、子供たちひいてはこれからの日本人への遺言のようなメッセージが続いている。著者が自らの終わりに、そしてそれ以降もつづくこの国の未来にむけて、真摯に問いを投げかけている姿を、『ジョン・レノン対火星人』の読者は想像できただろうか。
とはいえTwitterのフォーマットをを最も意識的な形で利用している日本の小説家が高橋源一郎ということになるだろう。彼の小説は読まないけれどTwitterはフォローしているという読者も多いはずだ。逆に著者のTwitterがなければ彼の小説を読まなかったという人も大いに違いない。
「分断線」の章をまず読んでいただきたい。鶴見俊輔の思想(むしろ生き方)に仮託して著者がつぶやくのは、「正しさの正しくなさ」といったこと、あるいは無数の正しさの中で一つの正しさを選ぶこと、つまりは正しさを求めることの限界について。原発推進だろうが反原発だろうが、一つの正しさを鮮明に打ち出す思想には強度がない。迷い、ためらい、逡巡、後戻り。一つの正しさから遠ざかるような精神の動きを大切にする言葉を、自らも卒業式を経なかった著者は、震災で卒業式を迎えられなかった学生たちに送った。
とはいえTwitterのフォーマットをを最も意識的な形で利用している日本の小説家が高橋源一郎ということになるだろう。彼の小説は読まないけれどTwitterはフォローしているという読者も多いはずだ。逆に著者のTwitterがなければ彼の小説を読まなかったという人も大いに違いない。
「分断線」の章をまず読んでいただきたい。鶴見俊輔の思想(むしろ生き方)に仮託して著者がつぶやくのは、「正しさの正しくなさ」といったこと、あるいは無数の正しさの中で一つの正しさを選ぶこと、つまりは正しさを求めることの限界について。原発推進だろうが反原発だろうが、一つの正しさを鮮明に打ち出す思想には強度がない。迷い、ためらい、逡巡、後戻り。一つの正しさから遠ざかるような精神の動きを大切にする言葉を、自らも卒業式を経なかった著者は、震災で卒業式を迎えられなかった学生たちに送った。