三島由紀夫 (ちくま日本文学 10) の感想
参照データ
タイトル | 三島由紀夫 (ちくま日本文学 10) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 三島 由紀夫 |
販売元 | 筑摩書房 |
JANコード | 9784480425102 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 全集・選書 » 日本文学 |
購入者の感想
本書はちくま日本文学全集全40巻の三島由紀夫の巻である。
収められているのは短編、エッセーなど15作品。
全集というと、代表作をピックアップしてまとめるだけに思いがちだが、代表作の多くが長編小説の三島クラスの作家になると文庫本で全集としてまとめるのは極めて困難だ。
しかし本書の場合、あまり目にすることのない作品だが、三島文学の本質に触れることができる短編、エッセーを選んでいると思う。
特に、巻頭に「海と夕焼け」を選んでいるところに編集のセンスが感じられると思う。
なぜなら、「海と夕焼け」は三島由紀夫の文学テーマが凝縮された作品だからだ。
それは「奇蹟の到来を信じながらそれが来なかつたといふ不思議」である。
内容は少年十字軍に材を取った作品で、時は1272年、老いた寺男が鎌倉稲村ケ崎の夕焼けを眺めながら、奇蹟を信じて十字軍に参戦した少年時代を回想する話である。1955年の作品だ。
『何のふしぎもなく、基督の幻をうけ入れた少年の心が、決して別れようとしない夕焼けの海に直面したときのあの不思議・・・』
現代の価値観で考えると、奇蹟を信じること自体が成立しえないだろう。
しかし、それを承知で三島は奇蹟が起こらなかったこと(※)に直面した人間を描く。
(※三島はそれを「詩的絶望」と言っている(「花ざかりの森・憂国」解説))
三島由紀夫が自決するのが1970年だが、彼の行動と考え合わせるとこの作品は大変興味深いし、彼を研究する上で重要な作品に位置付けられてもいいものだと思う。
その意味でも、「海と夕焼け」をこの全集の巻頭にした編集のセンスの良さを強く感じるし、筑摩書房の全集への思いが伝わるものだ。
ところで、今、三島由紀夫を読もうとすると、「潮騒」、「金閣寺」、「豊饒の海」といった代表作は新潮文庫で読めるが、クセのある作品は全集でないと読めない。
本書では、そのクセのある作品に触れられて貴重である。
収められているのは短編、エッセーなど15作品。
全集というと、代表作をピックアップしてまとめるだけに思いがちだが、代表作の多くが長編小説の三島クラスの作家になると文庫本で全集としてまとめるのは極めて困難だ。
しかし本書の場合、あまり目にすることのない作品だが、三島文学の本質に触れることができる短編、エッセーを選んでいると思う。
特に、巻頭に「海と夕焼け」を選んでいるところに編集のセンスが感じられると思う。
なぜなら、「海と夕焼け」は三島由紀夫の文学テーマが凝縮された作品だからだ。
それは「奇蹟の到来を信じながらそれが来なかつたといふ不思議」である。
内容は少年十字軍に材を取った作品で、時は1272年、老いた寺男が鎌倉稲村ケ崎の夕焼けを眺めながら、奇蹟を信じて十字軍に参戦した少年時代を回想する話である。1955年の作品だ。
『何のふしぎもなく、基督の幻をうけ入れた少年の心が、決して別れようとしない夕焼けの海に直面したときのあの不思議・・・』
現代の価値観で考えると、奇蹟を信じること自体が成立しえないだろう。
しかし、それを承知で三島は奇蹟が起こらなかったこと(※)に直面した人間を描く。
(※三島はそれを「詩的絶望」と言っている(「花ざかりの森・憂国」解説))
三島由紀夫が自決するのが1970年だが、彼の行動と考え合わせるとこの作品は大変興味深いし、彼を研究する上で重要な作品に位置付けられてもいいものだと思う。
その意味でも、「海と夕焼け」をこの全集の巻頭にした編集のセンスの良さを強く感じるし、筑摩書房の全集への思いが伝わるものだ。
ところで、今、三島由紀夫を読もうとすると、「潮騒」、「金閣寺」、「豊饒の海」といった代表作は新潮文庫で読めるが、クセのある作品は全集でないと読めない。
本書では、そのクセのある作品に触れられて貴重である。