後悔と自責の哲学 (河出文庫 な 24-1) の感想

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参照データ

タイトル後悔と自責の哲学 (河出文庫 な 24-1)
発売日販売日未定
製作者中島 義道
販売元河出書房新社
JANコード9784309409597
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 » 哲学

購入者の感想

後悔という人間特有の感情は、私たちが時間について、とくに過去について思いを巡らすことが可能だからこそ持ちうるものだ。時間が後悔の縦糸だとすると、横糸は自由という概念である。「あのときああしていれば(していなければ)」という後悔は、「あのときああすることもできたはずだ」という過去のある時点における選択肢の存在と選択の自由を前提にしている。それでもそうしなかったのはなぜか。それを突き詰めて考えていくと、そもそも複数の選択肢なんて存在したのだろうか、という問いに行き着く。その答えが否ということであれば、私たちの身におきることはすべて必然ということになる。本書には偶然を否定したライプニッツの最善説やスピノザの幾何学的決定論について書かれている。ただ、偶然を否定しきってしまうと、反社会的な行為に対しての帰責が不可能になる。人為的に「意志が働いている範囲」を設定し、そのなかで「意志が働いた」とみなしてはじめて人を罪に問うことができるのだ。

カントによる自然因果性と自由による因果性の二重の因果性はこれを可能にする。著者はその点においてはカントの理論を評価するが、本来は責任追及の因果たる自由による因果性(やってはいけないとわかっていてもやる)のなかに、行為を開始する原因である(純粋にやりたいからやる)ところの超越論的自由による因果性まで持ち込んでいきている点には批判的である。責任を追及するには、自然因果性(客観的にも理解しうる動機や原因)と、行為者に責任を帰する根拠としての自由による因果性の二本立てでじゅうぶんではないのか、と。もちろんそれだけで人間の行為がすっぱりと説明できるわけではないが「法廷は人間行為の究極の心理を解明する場所なのではなく、さしあたり納得できる量刑を定める場」なのだと裁く側も裁かれる側も承知している。人間の「理性の自然本性」であるところの「犯罪行為に至った者の責任を追及<したい>という欲求」をとりあえず満たすための、言葉は悪いが「方便」としての二本立て理論であると潔く割り切ってはどうか、というのが著者の意見である。

 中島哲学において自由論は時間論と並んで重要な位置を占める。『時間と自由』(講談社学術文庫)などのアカデミックな著作にも見られるとおり、その議論は透徹しており極めてレベルが高い。本書はそんな中島の自由論を「後悔」という感情をキーワードにして分かりやすく解説した哲学入門書である。
 われわれはみな過去における自分の行為を後悔する(「後悔という感情がなかったならば過去は形成されないだろう」とまで中島は言っている)。いくら後悔したところで、今さらどうにもならないことは分かりきっているにもかかわらず。なぜか。そうしないこともできたはずだからだ。すなわち自分は過去において自由であったはずだからだ。このように自由とはまず過去形である。しかしその自由とは、責任追及の欲求に基づくフィクションに過ぎないのではないだろうか――。
「感情に基づいて世界は形成される」というコンセプトは中島哲学を貫いているが、それが最もよくあらわれているのが本書であろう。豊富な哲学的知識とエッセイストとしての巧みな話術が融合した、詩情あふれる魅力的な哲学入門書に仕上がっている。毒舌で名を馳せている中島の「優しさ」が珍しく感じられる名著といえよう。文庫化に伴いより多くの読者に読まれることを望む。

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