峠 (中巻) (新潮文庫) の感想

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参照データ

タイトル峠 (中巻) (新潮文庫)
発売日販売日未定
製作者司馬 遼太郎
販売元新潮社
JANコード9784101152417
カテゴリ »  » ジャンル別 » 文学・評論

購入者の感想

人間万事、いざ行動しようとすれば、
相容れぬ原則が前後左右に矛盾として取り囲んでくる。
この場合の判断は容易にできぬ。
大は天下のことから、小は嫁姑の事に至るまで、全てこの矛盾に満ちている。
その矛盾に、即決対処できる人間になるのがおれの学問の道だ。
即決対処できるには、己の原則を創り出さねばならない。
その原則さえあれば、原則に照らして矛盾の解決ができる。

色恋もまた、俺を練磨する道だ。
惚れるということとは違う。どことなく対決の匂いがある。
鉄が鉄を打って火花を飛び散らせるような、
または、剣客が他の剣客と見えることによって、自分の道業を深めようとするような。
おぬしとおれは生命の付き合いだ。惚れてはいない。
思想をもった一個の霊が、生命を所有している。
生命は道具である。道具が好いている間は問題ない。
道具同士の付き合いにすぎぬ。
惚れると、道具の持ち主の霊までが戦慄する。
霊まで戦慄してしまえば、志は消し飛んでしまう。

京と、東の方では発想習慣が違う。
京では、口と頭が無連絡である。心にもなくても会話だけが独立している。
会話だけで社交が成立し、多くの場合は本音ではない。
会話は相手との情緒を和らげるためにのみ存在する。
が、京より東の方では、常にその会話は本音である。
常に正気で言い、その会話は常に論理的であった。

継ノ助は、生涯で最も充実した日々でございましたと答えた。
世辞ではなかった。が、方谷は忙しくて、継ノ助の相手になったことはなかった。
ただ、継ノ助は観察した。
ひたすらに方谷を観察し続けた。
その観察が充実しきったものだった、と継ノ助は言ったのである。

事を行うとき何よりも知るということが大事だ。
大政奉還という様子が明らかになった時、その機をとらえて、やる。
徳川家や牧野家が滅びるか生きるかのときだから、
どんな手術や苦い薬も人は甘受する。
政治とは機をみることだ。

 上巻では、100石取りの一長岡藩士でしかなっかった継之助が家老に抜擢され、京都、大坂、江戸、横浜を舞台に活躍していく。
 中巻で一番印象に残ったのが福沢諭吉との出会い。
 福沢と継之助は似ている。侍の時代が終わると予言していたこと、封建制度の限界を感じていたことなどがそれだ。
 これほど似ている二人なのに、同じ結論に到達できなかった。福沢は「幕府が勝とうが、薩長が勝とうがどちらでもいい」という結論だった。しかし、継之助は、「私は長岡藩の家老で、長岡藩の独立を守らなければいけない」という結論だった。
 「人は立場で生きている」
 と継之助は言った。
 もし、継之助が福沢の立場だったら、もし、坂本竜馬のように浪人の立場だったら今の日本はどうなっていただろうか。
 そう考え巡らすと歴史は面白いなと、思う

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