8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記 (新潮文庫) の感想

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タイトル8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記 (新潮文庫)
発売日販売日未定
製作者大野 芳
販売元新潮社
JANコード9784101332215
カテゴリ »  » ジャンル別 » ノンフィクション

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 旭川に住んでいる、市議です。旭川には、ソ連侵略の爪痕が沢山残っています。樺太からの避難民を3万人近く昭和20年代に人口16万の都市が受け入れたのですから。樺太からの引き揚げ船も、三船遭難といい昭和20年8月18日に、小平町のすぐ近くで、ソ連潜水艦で沈められました。3千名を越す犠牲者が出ました。
占守島は、旭川の師団が多く関わり、国境守備として多大な犠牲を払っています。終戦を迎えた8月17日から、日本領占守島・幌筵島に大軍が押し寄せて来ました。ソ連の元帥のスターリンは北海道を自国領土にすると公言し、少なくとも留萌から釧路にいたるラインを国境にして、ソ連領にしようと終戦を待ち、侵略をはじめました。
 占守島には、日魯水産の缶詰工場があり、日本人女子600名が働いていました。ソ連侵略を知りただちに、兵員輸送船を含め全島の船を使い、釧路港に向け全島の女性を避難させました。理由は、女子がロシア兵の蹂躙から守るためです。釧路港に到着したのが、8月20日でした。樺太の50km先の稚内港には、戦後直後、医師や医学生までも動員されました。樺太避難民が、ソ連兵に暴行を受け望まない妊娠をされた方が多かったのです。旭川にはその悲惨な堕胎処理した医師も多いのです。
隣家に旧軍の七師団に所属し、占守島で戦い瀕死の重傷を負うも、シベリヤに連行された方がいました。終戦を知りながら祖国防衛と北海道の領土防衛に、兵士は犠牲をいとわず戦ったと、いつも話していました。
ソ連・露西亜になっても、北海道民は隣国の粗暴さを決して忘れないのです。ですから、日本の教科書に史実として、記載すべきなのです。こうした歴史をコンパクトにまとめられた、著者の大野芳さんに感謝の気持ちで一杯なのです。いい本を文庫で出していただきました、新潮社にもお礼申し上げます。

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