聖地巡礼 ビギニング の感想

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参照データ

タイトル聖地巡礼 ビギニング
発売日販売日未定
製作者内田 樹
販売元東京書籍
JANコード9784487806386
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 宗教 » 宗教学

購入者の感想

大阪・京都・奈良の聖地巡礼は、原日本を辿る旅でもある。
腑に落ちたことなど。
.仏教は、人間の考えつく事すべてを内蔵している。多神教、一神教、唯心論、唯物論、無神論…。
その地域の民族性・文化と歯車が合えば突出して発達する仕組みになっている。
日本で浄土仏教が発達したのは、日本文化の基層部分と多分合っている。
これが、中国では禅、インドでは密教、南アジアでは上座部仏教である。
仏教ほど良くできた宗教がやって来ても壊れないものがある。日想観が多分そうである。北方モンゴロイドと南方モンゴロイド のハイブリッドの死生観を感ずる。

.神道は、キリスト教、イスラム教、仏教のように本来の姿に戻れというムーブメントが起こらない。どんどん上書きしていくのを良しとする。そもそも論をしないのが特徴である。
そして、基本的儀礼はお掃除である。一に掃除、二に掃除である。武道も基本的には同じである。
そして、「間」しかない。なんにもない。白紙である

.三輪山は、山道が竹箒で掃き清められていてゴミ一つ落ちていない。階段も全部、人工物は一切使わず木でつくってある。素足で登っている人もある。飲食禁止、写真不可、他言無用である。

.この本に登場する処は多くが謡曲の題材となっている。そして、英雄譚ではなく敗者が主人公である。呪鎮である。能は、歌舞伎と異なり近代的自我は邪魔で受動的にならないと動けない。能舞台にあるものが次々とシグナルを発信する。その隙間を辿って進むと動きが自然に出てくる。舞台に教えてもらう。脳という中枢でなく現場で処理する。型通り体が動く稽古を数限りなくむ。「無」とは、脳に身体をコントロールさせないことでもある。そして、視覚でなくむしろ触覚を使う。

.遣隋使の小野妹子の子孫とか、創業578年世界最古の企業とかも出て来る。
古・日本人は、文字がやってきても直ぐには使わず塩付けにして、あるタイミングで使い始めている。お調子ものではなかったのである。

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