営繕かるかや怪異譚 の感想
参照データ
タイトル | 営繕かるかや怪異譚 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 小野 不由美 |
販売元 | KADOKAWA/角川書店 |
JANコード | 9784041024171 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » 文学・評論 » SF・ホラー・ファンタジー |
購入者の感想
すでに、他氏によって言いつくされているわけだけれど。本書は、近年の京極夏彦氏謹製、「幽談」等に代表される短編の一部をのぞけば。ひさしぶりの和製幻想・怪奇譚の精華ではないだろうか?
「家の障り」−−それは、「家霊」とでも呼ぶべきか。はたまた「凶宅」と呼称すべきか・・・。内因的なものもあれば、外因的なものもあるようだが、さかのぼれば平安時代あたりからあったようだ。放っておけば、住人の命すら脅かす。そこまでは、これまでも材として採ってきたライターは数えきれない。けれど、本書はその、障りを「修正」する方法への着眼点がすばらしい! ここには退魔師も呪禁師も登場しない。「営繕」。広くリフォームとして解釈される方法で、難を避ける方策を試みる・・・。
収録作は、どれも甲乙つけがたいが。当方としては、個人的理由で「雨の鈴」に戦慄した。
以前から、「袋小路に家をつくるものじゃあ、ない」とは聞いていた。そのような家で不幸があった話も、聞かされてはいた。
けれども、それはあくまでも物理的な理由があったろう。袋小路では、必然、人の出入りが少なくなる。昔は「どぶ」ひとつとっても、そこで流れが止まり、澱み、不衛生になる。・・・人も物も経巡らねばならない。にもかかわらず阻害される。それゆえ忌まれたのであろう、と。
が、本作では誰にもわからない「理外の理」にしたがって、「魔のもの」が順番に「特定の条件の家」を訪れーー死をもたらす。自分の家は、記述の「特定の条件の家」に該当しないだろうか? 大丈夫であろうか? そう思った読者はいなかったろうか。
この、肌にせまるリアリティ!
・・・漫画家ささやななえ氏に「空ほ石の・・・」という、高層団地の特定の部屋列だけが、順番に災難に見舞われるという都市伝説系作品があったと記憶している。
がーー本作の淡々とした語りと、乾いた簡潔な描写は、なまじの凄惨なクライマックスを用意した、都市伝説系怪談を凌駕する。
お値段も、まず穏当。
未見の方は、ひとつこの営繕ーーいやいやリフォームのすすめではなくて、怪異譚の精華に接してみてはいかがだろう?
「家の障り」−−それは、「家霊」とでも呼ぶべきか。はたまた「凶宅」と呼称すべきか・・・。内因的なものもあれば、外因的なものもあるようだが、さかのぼれば平安時代あたりからあったようだ。放っておけば、住人の命すら脅かす。そこまでは、これまでも材として採ってきたライターは数えきれない。けれど、本書はその、障りを「修正」する方法への着眼点がすばらしい! ここには退魔師も呪禁師も登場しない。「営繕」。広くリフォームとして解釈される方法で、難を避ける方策を試みる・・・。
収録作は、どれも甲乙つけがたいが。当方としては、個人的理由で「雨の鈴」に戦慄した。
以前から、「袋小路に家をつくるものじゃあ、ない」とは聞いていた。そのような家で不幸があった話も、聞かされてはいた。
けれども、それはあくまでも物理的な理由があったろう。袋小路では、必然、人の出入りが少なくなる。昔は「どぶ」ひとつとっても、そこで流れが止まり、澱み、不衛生になる。・・・人も物も経巡らねばならない。にもかかわらず阻害される。それゆえ忌まれたのであろう、と。
が、本作では誰にもわからない「理外の理」にしたがって、「魔のもの」が順番に「特定の条件の家」を訪れーー死をもたらす。自分の家は、記述の「特定の条件の家」に該当しないだろうか? 大丈夫であろうか? そう思った読者はいなかったろうか。
この、肌にせまるリアリティ!
・・・漫画家ささやななえ氏に「空ほ石の・・・」という、高層団地の特定の部屋列だけが、順番に災難に見舞われるという都市伝説系作品があったと記憶している。
がーー本作の淡々とした語りと、乾いた簡潔な描写は、なまじの凄惨なクライマックスを用意した、都市伝説系怪談を凌駕する。
お値段も、まず穏当。
未見の方は、ひとつこの営繕ーーいやいやリフォームのすすめではなくて、怪異譚の精華に接してみてはいかがだろう?
家と怪異、ありふれた掛け合わせがどういうことでしょう?!匠、小野不由美の手に掛かるとふと背後を気にしてしまいたくなる日常系ホラーに!
本作はホラーであり、怪異を鎮める物語ではないです。トリックなどもありませんし、派手さもないので物語としては物足りないと感じる方もいるかもしれない。しかし、通りすぎていく怪異の過程、心情、それらを疑似体験させてくれる文字の綴りは、小野不由美ならではホラーを孕んでおります。しかし、ただの怪異譚になっていないのは、家を通して家族を思いやる優しさも読後に滲んでくるからでしょう。これが日本人が持つイエの文化なのかもしれませんね。
怪異に蝕まれた家を、補修してくれるのが、営繕かるかやさんなのですが、あっさりと補修やリフォームの提案をしてくれる。彼いわく、霊能者ではない。とのこと。キャラクター小説のように強烈な個性もかるかやさんの尾端さんからは感じません。それも、え?こんなことで怪現象がなくなるの?とさえ思います。
読みやすい三人称主人公視点の短編集。
子を持つ親であるわたしは、「檻の外」が怖さとともに哀しくも感じました。
漆原友紀さんの表紙が、とても作品に合ってあてすてきです。
本当にあったはなしみたいな錯覚、景色が見える錯覚、自分の家で読んでいるともしかしたら?と錯覚がふと湧いてきますよ。
本作はホラーであり、怪異を鎮める物語ではないです。トリックなどもありませんし、派手さもないので物語としては物足りないと感じる方もいるかもしれない。しかし、通りすぎていく怪異の過程、心情、それらを疑似体験させてくれる文字の綴りは、小野不由美ならではホラーを孕んでおります。しかし、ただの怪異譚になっていないのは、家を通して家族を思いやる優しさも読後に滲んでくるからでしょう。これが日本人が持つイエの文化なのかもしれませんね。
怪異に蝕まれた家を、補修してくれるのが、営繕かるかやさんなのですが、あっさりと補修やリフォームの提案をしてくれる。彼いわく、霊能者ではない。とのこと。キャラクター小説のように強烈な個性もかるかやさんの尾端さんからは感じません。それも、え?こんなことで怪現象がなくなるの?とさえ思います。
読みやすい三人称主人公視点の短編集。
子を持つ親であるわたしは、「檻の外」が怖さとともに哀しくも感じました。
漆原友紀さんの表紙が、とても作品に合ってあてすてきです。
本当にあったはなしみたいな錯覚、景色が見える錯覚、自分の家で読んでいるともしかしたら?と錯覚がふと湧いてきますよ。