ヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21) の感想

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タイトルヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21)
発売日販売日未定
製作者斎藤 環
販売元KADOKAWA/角川書店
JANコード9784041107416
カテゴリジャンル別 » 社会・政治 » 社会学 » 社会学概論

購入者の感想

最近流行の「ヤンキー論」の実質的な提唱者である、斎藤環センセイの新著。
冒頭、斎藤氏の提言する「ヤンキー」ついて概略が述べられている。
簡単にまとめると
・過剰装飾を好む「バッドセンス」な美的感性(末端の肥大、過度な色彩の強調)
・その場の勢いをなにより大事にし、「深く考えない」ことを美徳とする精神(反知性・教養主義)
・大局的・本質的な理解よりも、実際的な技能を至上とする価値観(戦略軽視、戦術重視)
・循環的な社会関係を重要視する志向性(結果としての家族重視)
・本物とフェイクのすり替わりを許容する程度の「伝統」重視

大筋、こんなところだろうか。

対談者は芸術家から政治学者、建築家と非常に多様であり、「ヤンキー」をキーワードに日本の文化的基層まで理解しようと言う、なかなか遠大な試みである。
ただ、著者自身も言っている事だが、こういった価値観がどの程度「日本的」と言えるかは微妙なところだろう。アメリカやヨーロッパの貧困層にも、母性回帰的な価値観や、バッドセンスははっきりと見られるからだ。
強いて上げるならば、インテリと大衆との間に割合と溝のある諸外国に比べ、日本の場合は権力層も含めて「ヤンキー」的気合い主義が大勢を占めていると言う点は、独特かもしれないが。そして、それが戦後日本の「国民総中流」の意識の形成過程に貢献した事は想像に難くない。

個人的には、「フェイクとしての伝統」重視という部分にヤンキー文化の本質があるように思う。そしてそれは、近代日本の骨格(明治維新)を通り越して、南北朝の動乱あたりにさかのぼっていくのではないか。というのも、この時代こそ、従来の権力機構がもっとも揺らいだ時代であり、その反動として「フェイクとしての伝統」が強化されたように感じられるからだ。

著者がその辺りの事をどう考えているのか、聞いてみたい気もするが、そこまで行くと本格的な日本史家でないと手に負えない気もする。

本書は「世界が土曜の夜の夢なら」でヤンキーを分析した斎藤環さんの対談集です。
対談相手は現代美術家、作家、建築家、キャスター、歴史家とバラエティに富んだ人選になってます。

本書冒頭には40ページほどのヤンキー文化の考察があり、これが著者のヤンキー論の良いエッセンスになっていると思います。
ここでヤンキーといっても単に不良のことを指すのではありません。
斎藤氏は
・お笑い芸人的なコミュニケーション=他人いじり
・気合いでなんとかなる=精神主義=反知性主義
・ムラ社会的=体育会系的
などをヤンキーの特徴としてあげています。

驚くべきはこれらの特徴が不良だけでなく、現代の保守的な政治やそれをとりまく構造に見事に当てはまることです。
日本の保守的で平和的な実態の再生産にヤンキー的感性が関わっているという、なかなか射程の広い議論のようであります。

最近は、ヤンキー/オタクという対立から考える人もいますが、意外にもヤンキーの方がマジョリティなのです。
クールジャパンやソーシャルゲームの流行りを見ていると、オタクがマジョリティだと錯覚してしまいそうになりますが、
ソシャゲは賭け事に近いのでやはりヤンキー的感性がヒットに関わっているのかなと思います。
日本的コンテンツのひとつである少年ジャンプも「友情・努力・勝利」といういかにもオタクが嫌いそうなスローガンを掲げています。

某大人気ドラマでの気合いの入った土下座シーンを違和感なく受け入れている日本人はまさにヤンキー的です。
マジョリティについて語っているヤンキー論は、実のところサブカル論ではなく日本人論なのです。

ここまで書くと、なんだ斎藤は「日本人はヤンキーっぽいからバカだ」と言ってるのか知識人て傲慢だな〜と感じるかもしれません。
しかし著者は彼らの知的水準を問題にしているわけではありません。(もちろんホントは問題なのですが)
地頭がいい人間なのに知識や論理を軽視する=反知性主義者として行動することが問題になっているのです。

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