大和朝廷成立の謎―古代出雲王国から邪馬台国へ の感想
参照データ
タイトル | 大和朝廷成立の謎―古代出雲王国から邪馬台国へ |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 渡部 雅史 |
販売元 | 幻冬舎ルネッサンス |
JANコード | 9784779008818 |
カテゴリ | 歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般 |
購入者の感想
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原田常治は大物主神を饒速日尊と同一視
布都御魂―素盞鳴尊―饒速日尊を親・子・孫の直系関係と推測し
「奈良盆地に首都を置く古代出雲王国が、
日向から伊波礼彦尊(邪馬台国の正当な相続人)を入り婿の形で迎え入れ、
ニギハヤヒの尊の娘の伊須気依姫(古代出雲王国の正当な相続人)と結婚させ、
伊波礼彦尊は神武天皇として即位し大和朝廷が成立」したと推測した。
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これを承けて著者は西紀220−280年、九州北部の邪馬台国は魏、
「九州を除く北陸〜濃尾平野以西の大部分を支配していた古代出雲王国」は呉と
(単なる冊封関係ではない)「冊封・同盟関係」にあったが
呉滅亡により後ろ盾を失った「古代出雲王国」が邪馬台国に併合され
「大和朝廷・日本国の枠組みが成立」、
その際、饒速日尊の系統が后を出し、政治の実権も握る、よって天皇は男性に限る
というシステムが成立したが、藤原氏が外戚家の地位と実権を奪ったと推測する。
そして出雲大社御本殿の真裏にある「素鵞社」の御祭神が素盞鳴尊であることを唯一の根拠に
蘇我氏が「スサノオの尊の直系であった可能性が高い」との奇説を述べたり
藤原氏が日本を「不公正な手段で簒奪」したと散々非難しておきながら
「一方、藤原氏はその後千数百年にわたって皇室を護持した。
今日、日本が世界に誇れるものとして皇室があることは藤原氏の大きな功績」と唐突に称賛したり
「皇后家に実権」という決め事は現在も生きていて
現在は国民主権だから今上陛下も皇太子・秋篠宮両殿下も「平民」から后妃をお迎えになった
など全般的に暴走気味である。
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邪馬台国については魏が呉に圧力を掛ける目的で
原田常治は大物主神を饒速日尊と同一視
布都御魂―素盞鳴尊―饒速日尊を親・子・孫の直系関係と推測し
「奈良盆地に首都を置く古代出雲王国が、
日向から伊波礼彦尊(邪馬台国の正当な相続人)を入り婿の形で迎え入れ、
ニギハヤヒの尊の娘の伊須気依姫(古代出雲王国の正当な相続人)と結婚させ、
伊波礼彦尊は神武天皇として即位し大和朝廷が成立」したと推測した。
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これを承けて著者は西紀220−280年、九州北部の邪馬台国は魏、
「九州を除く北陸〜濃尾平野以西の大部分を支配していた古代出雲王国」は呉と
(単なる冊封関係ではない)「冊封・同盟関係」にあったが
呉滅亡により後ろ盾を失った「古代出雲王国」が邪馬台国に併合され
「大和朝廷・日本国の枠組みが成立」、
その際、饒速日尊の系統が后を出し、政治の実権も握る、よって天皇は男性に限る
というシステムが成立したが、藤原氏が外戚家の地位と実権を奪ったと推測する。
そして出雲大社御本殿の真裏にある「素鵞社」の御祭神が素盞鳴尊であることを唯一の根拠に
蘇我氏が「スサノオの尊の直系であった可能性が高い」との奇説を述べたり
藤原氏が日本を「不公正な手段で簒奪」したと散々非難しておきながら
「一方、藤原氏はその後千数百年にわたって皇室を護持した。
今日、日本が世界に誇れるものとして皇室があることは藤原氏の大きな功績」と唐突に称賛したり
「皇后家に実権」という決め事は現在も生きていて
現在は国民主権だから今上陛下も皇太子・秋篠宮両殿下も「平民」から后妃をお迎えになった
など全般的に暴走気味である。
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邪馬台国については魏が呉に圧力を掛ける目的で