日本書紀以降の書物は、日本書紀という存在に呪縛されていることを様々な実例で示し、その枠組から自由になることを提唱している
本書が第1巻となる全7巻の<本と日本史>シリーズの趣旨について、
筆者は『まえがき』で、
「本のあり方から一つの時代の文化や社会の姿を考え、
その時代のものの考え方や世界観・価値観、
さらには知の枠組がどのようなものであったのかを考えてみよう」とするものであり、
「日本における知の構造の変遷を書物の歴史からたどるシリーズになるだろう」と語っており、
筆者が日本書紀をテーマとしたことについては、
「この書物を抜きにして日本の書物の歴史や文化は論じられないと考えたから」としている。
 

さて、
そんな日本書紀について筆者は、
『まえがき』及び第一章で、
日本書紀は国家編纂の歴史書であり、
歴史の勝者である現在の王朝が自らの正当性を書くという姿勢が臆することなく表明されており、
その記述は客観的・中立的なものではなく、
はなはだ政治的なものであり、
歴史的事実とは異なる創作記事が多々記されているとしている。
 

日本書紀に対するそうした見方自体は、
もう常識になっていると思うが、
そうした前提のうえで、
色々と謎が多く、
解釈の余地が一杯ある神話部分をどう読むかという具体論になると、
論者によって様々だということが、
第五章を読んでいるとよくわかる。
ここでは筆者は、
大山誠一説を引用する形で、
「アマテラスのモデルは第一に持統天皇、
第二に元明天皇を、
ニニギのモデルとしては、
第一に軽皇子を、
第二には首皇子を比定すべきだと考える」としているのだ。


本書のメインテーマである「日本書紀の呪縛」については第六章で論じており、
日本書紀は権威ある書物で、
その存在感は巨大であり、
日本書紀が出来上がってから日本書紀の呪縛がはじまり、
日本書紀をそのまま継承するか、
あるいは依拠しつつ少しの付加をするか、
さもなければ日本書紀に反発してそれとは異なる歴史を語ろうとするか、
いずれにしても、
その後の書物は、
日本書紀の存在を前提として書かれていったとしている。
その実例については、
『古語拾遺』、
『藤氏家伝』、
津真道(菅野真道)の『家牒』、
『高橋(膳)氏文』、
『続日本紀』、
『新撰姓氏録』、
『先代旧事本紀』、
『聖徳太子伝暦』、
『上宮聖徳法王帝説』、
『上宮聖徳太子伝補闕記』、
『上宮厩戸豊聡耳皇太子伝』といった書物を挙げて、
第十一章までかけて詳述している。
『日本書紀』の呪縛 シリーズ<本と日本史>1 (集英社新書)

その他の感想

最近まで知らなかったのが不覚!!
アリガタにキズがつくけど安いので・・・
こどものお手伝い用に
題名とのギャップ。内容的には面白い・・。
初心者がいきなり読むと混乱すると思います。
期待の4x4MIMOでも、速度が倍になる訳ではない
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「語るべき物語」の連関とうつくしい抒情性
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入学直前のお子さんに
なかなか良さそうです。
iPhone5sでは使用不可。
あれは誰だ
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毛玉取りの「匠の技」に出合う。
見た目は可愛いのですが、なくしました。
tyokora
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