漱石未完の遺作<明暗>は<思い出す事など>を背景に完成するのではないですか
本書には<思い出す事など>の他にほぼ同時期に書かれた随筆7編が入っています.中核はもちろん修善寺の大患を叙した回想の記にありますので,レビューはこれに限定しました.

冒頭の一文は ---「漸くの事でまた病院まで帰って来た.」 です.まことに漸くの事でした.漱石は保養先の修善寺から元いた長与胃腸病院の一室にやっとの思いで舞い戻ってきたのです.修善寺で大吐血し,いっとき人事不省に陥っていた漱石は帰って来て間もなく回想記を病院の自室で書き始めます.その作家魂に私は驚きを禁じ得ません.で,もしですよ,もし修善寺に行かず,つまり退院せず,長与病院にそのまま留まっていれば,瀕死の大吐血はなかったかも知れませんよね.となると,この回想記もなかったし,晩年の<明暗>も今吾らが見るようには書かれなかった.この世は一寸先は闇 --- .修善寺の大患は漱石の人生を明から暗へとドラマティックに反転させました.この辺りの経過を本書と他書を参考に時系列で整理すると次のようになります.

1910年(明治43年)43歳
6月18日 <門>を書き終えた漱石は胃潰瘍の治療のために長与胃腸病院に入院.
7月31日 長与胃腸病院を退院.
8月6日 保養のために修善寺温泉菊屋本店に到着.
8月8日 胃異常のサイン早々と出現.
8月17日 熊の胆(い)のような吐血あり.
8月24日 大吐血が始まり,30分間,意識喪失したが,医師達の懸命の治療で危機を脱出.
10月11日 漸く帰京するまで恢復し,帰途は特別製のベッド上に臥して旅宿を離れ,一日がかりで東京に戻り,直ちに長与病院に再入院.
10月20日 入院中に「思い出す事など」を朝日新聞に連載開始.

1911年(明治44年)44歳
2月20日長与胃腸病院入院中に「思い出す事など」の掲載終了.
2月26日 長与胃腸病院退院し,早稲田の自宅に帰る.

8月24日の意識喪失を本人は知りません.金盥を満たす吐血は知っているが,吐血して気分はすっきりしたので,医者たちの会話を聞いていました.改行なしに引用します.
思い出す事など 他七篇 (岩波文庫)

その他の感想

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種子法廃止は日本の食を海外企業に売る売国奴法案です。
スカート丈は長いです。
確かに脱がせられないし脱がしても面白くは無いけれど
ねじが固い。改悪?
初めてのアクアマリン
買い換えて良かった\(^o^)/
むかーしむかしの未来の話
とりあえず。。。
実質、値上げかも。
賞味期限3年
移動用に最適です
プログラミング自体が初めての人向けの本
悪くない作品です
なぜこの色なのか
他は知らないけど、これで大満足!
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みためがいい
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きたーさん
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