極地の「冒険」だ
北極や南極の冒険の話が好きだ。
それは純粋だからである。

雪と氷と酷寒のなかで、
確かなものは自分の体だけというシンプルさ。
一歩づつ足を運ばなければ目的地に着かない=死ぬという単純な状況。
食べても食べても追いつかないカロリー消費からくる空腹感と飢餓感の切実さ。
すべてが生と死という二項対立のなかにある。

とりわけ、
遭難して当初の目的を失い、
全ての行動と判断が生還するというただ一点に絞られたとき、
その純粋さは極限に達する。
忌み嫌っていた文明社会、
逃げ出してきたはずの文明社会に戻るために、
ウソみたいな事態が次々と起こる大自然に、
全身全霊であらがうのである。
手記を読んでいるのだから生還したのが判っているのに、
手を握り目を凝らして読まずにはおれない。
そのような読書で、
何度、
夜を明かしただろう。

アーネスト・シャクルトンが南極横断を企て、
ウェッデル海の棚氷に船を閉じ込められ、
サバイバルの末に全員が生還したという逸話はまさにその典型だった。
そのような英雄的な逸話は過去のものになり、
企てる人も稀になった。


そこに、
この冒険である。

FRP製の丈夫な橇に100kgを超える荷物を載せ、
わが身で引っぱりながら、
ホッキョクグマがうろつく氷の海の上を1600kmも歩こうというのだ。
クレイジーである。
死にたくはないだろうが、
死ぬ可能性が高い。
これは正常な神経とは思えない。


北西航路というロマンチックな文字の陰に、
あまたの悲惨な冒険の犠牲者が埋もれていると、
著者は語る。
その中には129人全員が遭難死した隊まであると。
まるでシャクルトンの逸話の裏返しのようだ。
その足跡をたどろうというのだ。
遭難者の痕跡を探して探検するのではない。
すでに100年も前の事なのだ。
遭難者がたどった氷の上の道を実際に歩いてみて、
身をもって語ろうというのである。
だから言葉の重さが違う。
机の上で編み出したものではなく、
身体がひぃひぃと喘ぎながら訴えかけてきた言葉なのだ。
著者の他の本、
たとえば、
やるせなくて切ないイエティ探索行と比較すると、
経験の密度がまったく違う。
こういうのが大好きなんだな、
と伝わってくる。
アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極 (集英社文庫)

その他の感想

小さくなっても魅力そのまま
もう少しタイト感が欲しかったです。
日常生活です
細長い形状だったので・・・
2ストを長く乗りたいならいい選択
軽い!少し大きいかも??
命とは、気持ちが通じ合うこと?
罪とは‥
ひゃっふー‼︎
これはいい出来じゃあねぇか!
犬のおやつ作りに
塗りやすい☆
各キャラクターのモーションを気にしないなら楽しめるかな。
サイズ記載に不満
「沈着で深みのあること、これが一番の人格である。」
事情はわからなくもないが…
一部に文字潰れあり
統計があぶり出した「幸運」の正体
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