何がこわされ、何がつくられたか?
神仏分離・廃仏毀釈論の古典。
初版から30年近くたってなお、
近代日本の「宗教」について考えるにあたりまず参照されるべき基本的な文献の一つとなっている。
せいぜい200ページくらいの本の中に、
とりあえず必要な情報がぎっしりと、
しかもわかりやすくまとめられている、
といった印象で、
やはりすごい。

図式はシンプル。
西洋≒近代のインパクトを受けた明治政府が、
国家規模の急速な文明化を推進し、
と同時に強力な国民統合を達成しようとするなか、
日本の正しい「宗教」と誤った「宗教」との間に明確な区別が設けられ、
神社≒神道および皇統崇拝を核とする前者がイデオロギー的に再構築される一方、
民衆の素朴な神様仏様の複合体からなる後者は「迷信」や「淫祀邪教」とされ廃絶に追い込まれる、
という構図である。
そして、
前者はむしろ「宗教」であることを隠蔽し国家の「祭祀」としてすべての「宗教」に優越する何とも定義しようのない制度と実践の集合体へと変貌し、
国家の邪魔にならないように雑多な要素を抑圧し近代化された各種の「宗教」がその集合体に対する貢献の度合いを競い合う、
という状況が整備されることで、
近代日本の「宗教」をめぐる前提はおおよそ出来上がった。

ということで、
「神仏分離」といっても、
もともと統合されていた「神仏」を「神」と「仏」に二分したというよりは、
《皇祖神>皇統>歴代の忠臣>村落の氏神(祖霊)》という新たなる「神」の階層世界が生成するなか、
「仏」も個人の内面性を重視する近代的な「仏教」として啓蒙化されつつ生れかわっていったのであり、
また「廃仏」といっても、
廃されたのは「仏」のみではなく、
「国家によって権威づけられない神仏のすべて」であった。
村落民の「欲求充足」の媒体であり彼等の霊的な日常生活を構成していた「民俗信仰の世界は、
意味や価値としての自立性をあらかじめ奪われた否定的な次元として、
明治政府の開化政策にむきあってしま」ったのである。
その否定され破壊されたものたちは、
その後に「廃仏」の嵐がひくなか多かれ少なかれ再興されていったとはいえ、
もはや、
もとのようにはありえなかった。
神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

その他の感想

普通につまらなかった
涼しげでいいですよ
内容紹介と違う
しっとり2
大好きな一足
日本訪問編は各国の思惑が入り乱れ不穏な空気を醸し出す政治色の強い巻です。
軽く読める
看板…
仕事の合間に
深々と降る雪の気配を感じる。
さらつやないいウィッグです
一番かは定かではないが、確かにわかりやすかった。
机のオアシス
southern soul rock
太って見えるかも
インソールを取り替えました
Hierarchieが至高
JAVAプログラミングの次は
前奏・間奏が素敵☆
程々の商品
効果に期待してます
これはもはやライブDVDではない!
正直微妙
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車側とオーディオ側のケーブルをつなぐものです。
読み応えあります。
安いけど品質はいいと思います。
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