円城塔「虹には向こう側がない-トマス・ピンチョン『重力の虹』をめぐって」を読む
分厚い上下巻から成る『重力の虹』を読み終わったはいいが、
読破したという優越感に満たされるというよりは、
この小説の何たるかを言い表す言葉が見つからず途方に暮れている読者は私も含めてけっこういるはず。
そうなると、
読み巧者の方たちにそのわけのわからなさ加減をわかりやすく説明してもらえないかと、
藁をも掴む思いで各新聞・文芸誌の書評欄を見渡すが、
なんかあんまりぱっとしない。
そもそも9月末にこの新訳がやっとのことで出版されてからもう2ヶ月経つというのに、
書評を載せた新聞は管見によればまだ数紙。
この訳業は今年の出版業界外国文学部門における一大欣快事であるはずなのに。
私が勝手に盛り上がっているだけなのかもしれないが、
このなんだか冷めた状況に失望のようなものを感じ始めていた。


そんな折、
文芸誌『新潮』の最新号に円城塔の書評が載るということを聞きつけて早速購入した。
文芸誌の書評というのは巻末あたりに1冊の本につき見開き2ページほどで数冊分まとめて載るのが慣例だろうが、
円城の書評は6ページという書評としては異例の長さで、
しかも書評欄とは別のページに掲載されている。
版元の力の入れようが伝わってくる。


一読し心打たれた。
こんなすごい文章、
なかなか書けない。
例えば、
「ピンチョンは本書を書くのに、
六十年代の後半を費やしたとされている。
本書の訳者、
佐藤良明が先行訳を「踏み石」に実作業を開始したのが二〇〇七年、
刊行がこの二〇一四年である。
実作業の期間だけで五、
六年かかっているものを数日で読み終えることができると考える先験的な理由はない。
そういうことができるとつい思ってしまいがちなのは、
『重力の虹』がとりあえず本の形をしているからにすぎないが、
物事を外見で判断していはいけないというのは初歩である」(321ページ) 『重力の虹』が本の形をしているのはたまたまなのだ、
というメタレベルの視点に度肝を抜かれる。


この文章の後、
ひとまず円城は様々な視点から論じようと試みるが、
どの視点も「~と、
とりあえずは言える」「それは横に置いておき~」などと意図的に留保または寸断される。
それは『重力の虹』を1つの角度から語ろうとすると逆説的にその本質から離れて行ってしまうことを知っているからである。
シビれる。
最後の4行はもっとシビれる。
新潮 2015年 01月号 [雑誌]

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