ローマ政治家伝II ポンペイウス の感想
参照データ
タイトル | ローマ政治家伝II ポンペイウス |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | マティアス・ゲルツァー |
販売元 | 名古屋大学出版会 |
JANコード | 9784815807368 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » ノンフィクション |
購入者の感想
ゲルツァーのローマ政治家伝「ポンペイウス」(1944年印刷、1949年初版刊行、1959年2版)の長谷川博隆氏による翻訳。独断的に、本書を3つに割ってしまうと、ポンペイウスの東方平定からの帰還(絶頂期)までが約70頁、帰還から、ローマ国内政治の混乱を経て、カエサルがルビコンを渡るまでが約80頁、内乱発生から死までが、約40頁である。
ローマ共和政の終焉の鐘を鳴らしたのはカエサルであって、ポンペイウスではない。また、ポンペイウスは最終決戦の敗北と、その後の死があまりにも悲惨で、かっこ悪い。
しかし、カエサルの前はポンペイウスがローマの第一人者であったのであり、ポンペイウスのスペイン征服、海賊討伐、東方平定の業績は、カエサルのガリア征服の業績をしのいでおり(相手が弱かったという説もあり)、カエサルとの戦いにおいても、最終決戦のファルサロスの前の、デュッラキオンの戦いにおいては、ポンペイウスが勝っていたのだから、その後のポンペイウスの戦い方(ファルサロスを決戦場に選んだことを含めて)によっては、内乱にポンペイウスが勝利していた可能性もあるだろう。
だから、ポンペイウス伝、ポンペイウスの側から見た内乱録も読みたいのだが、日本では、伝記、小説含めて、カエサル一色に塗りつぶされており、ポンペイウスはおおむね、カエサルの餌食、カエサルの引立て役に近い。洋書には、ポンペイウス伝が結構あるようだが、日本語で読めるものとしては、たぶん、プルタルコス英雄伝(対比列伝)中のポンペイウス伝、ルーカーヌスの歴史叙事詩「内乱」(下巻)(ポンペイウス側から歌われるファルサロス決戦)しかなかったように思う。本書は、現代の(ちょっと古いが)、ポンペイウス伝の待望の翻訳である
ポンペイウスは、大将軍で、善人だが、優柔不断で、カエサルにしてやられた、というのが、日本での一般的評価と思う。同時代人は「思っていることとしゃべることが違う。何を望んでいるのかわからない」(マルクス・カエリウス)、「誠実な面、厚かましい心根」(サッルスティウス、カエサル派)と評価する。キケロによる評価はその時その時でゆれが大きい。これはキケロの性格もあるが、それ以上にポンペイウスの政治活動の揺れの反映のようである(しかし、それも当時のローマ政治の混乱の反映だろうが)。
ローマ共和政の終焉の鐘を鳴らしたのはカエサルであって、ポンペイウスではない。また、ポンペイウスは最終決戦の敗北と、その後の死があまりにも悲惨で、かっこ悪い。
しかし、カエサルの前はポンペイウスがローマの第一人者であったのであり、ポンペイウスのスペイン征服、海賊討伐、東方平定の業績は、カエサルのガリア征服の業績をしのいでおり(相手が弱かったという説もあり)、カエサルとの戦いにおいても、最終決戦のファルサロスの前の、デュッラキオンの戦いにおいては、ポンペイウスが勝っていたのだから、その後のポンペイウスの戦い方(ファルサロスを決戦場に選んだことを含めて)によっては、内乱にポンペイウスが勝利していた可能性もあるだろう。
だから、ポンペイウス伝、ポンペイウスの側から見た内乱録も読みたいのだが、日本では、伝記、小説含めて、カエサル一色に塗りつぶされており、ポンペイウスはおおむね、カエサルの餌食、カエサルの引立て役に近い。洋書には、ポンペイウス伝が結構あるようだが、日本語で読めるものとしては、たぶん、プルタルコス英雄伝(対比列伝)中のポンペイウス伝、ルーカーヌスの歴史叙事詩「内乱」(下巻)(ポンペイウス側から歌われるファルサロス決戦)しかなかったように思う。本書は、現代の(ちょっと古いが)、ポンペイウス伝の待望の翻訳である
ポンペイウスは、大将軍で、善人だが、優柔不断で、カエサルにしてやられた、というのが、日本での一般的評価と思う。同時代人は「思っていることとしゃべることが違う。何を望んでいるのかわからない」(マルクス・カエリウス)、「誠実な面、厚かましい心根」(サッルスティウス、カエサル派)と評価する。キケロによる評価はその時その時でゆれが大きい。これはキケロの性格もあるが、それ以上にポンペイウスの政治活動の揺れの反映のようである(しかし、それも当時のローマ政治の混乱の反映だろうが)。