かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) の感想
参照データ
タイトル | かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 白洲 正子 |
販売元 | 講談社 |
JANコード | 9784061961227 |
カテゴリ | 文学・評論 » エッセー・随筆 » 日本のエッセー・随筆 » 近現代の作品 |
購入者の感想
池内紀の『ニッポンの山里』を読んだら、白洲正子の『かくれ里』(白洲正子著、講談社文芸文庫)を読み返したくなってしまった。
本書は、さまざまな趣味に独自の世界を有する白洲正子が、関西方面の「かくれ里」を訪ね、42年前に出版された紀行エッセイであるが、古さを感じさせないから不思議だ。
「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも『かくれ里』の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである」。私も、かくれ里には無性に惹かれる。
「桜の寺」では、京都の西北、周山の山国の常照皇寺を訪ねている。「この辺は紅葉も多い所で、秋にも春にも捨てがたい情趣がある。特に桜の頃、参道を登って行くと、杉木立の向うに、花の姿がちらほら見え、思わず胸がどきどきする。西行にも、宣長にも、そういう歌があったと記憶するが、これは日本人の誰でもが、桜に会う時の心のときめきであろう」。本当に、桜は妖しい雰囲気で我々を包み込む。
「吉野の川上」は、古今集の詠み人知らずの歌に続けて、「吉野は古くから伝統的な『かくれ里』であった。天武天皇が、壬申の乱に、いち早く籠られたのは有名だが、西行も義経も、南朝の天子方も、近くは天誅組の落人に至るまで、『世のうき時』に足が向うのは、いつも吉野の山奥であった」と始まる。著者は、必ずと言っていいほど、その土地固有の歴史に言及するが、私ども歴史好きにとっては、白洲作品の大きな魅力となっている。
本書は、さまざまな趣味に独自の世界を有する白洲正子が、関西方面の「かくれ里」を訪ね、42年前に出版された紀行エッセイであるが、古さを感じさせないから不思議だ。
「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも『かくれ里』の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである」。私も、かくれ里には無性に惹かれる。
「桜の寺」では、京都の西北、周山の山国の常照皇寺を訪ねている。「この辺は紅葉も多い所で、秋にも春にも捨てがたい情趣がある。特に桜の頃、参道を登って行くと、杉木立の向うに、花の姿がちらほら見え、思わず胸がどきどきする。西行にも、宣長にも、そういう歌があったと記憶するが、これは日本人の誰でもが、桜に会う時の心のときめきであろう」。本当に、桜は妖しい雰囲気で我々を包み込む。
「吉野の川上」は、古今集の詠み人知らずの歌に続けて、「吉野は古くから伝統的な『かくれ里』であった。天武天皇が、壬申の乱に、いち早く籠られたのは有名だが、西行も義経も、南朝の天子方も、近くは天誅組の落人に至るまで、『世のうき時』に足が向うのは、いつも吉野の山奥であった」と始まる。著者は、必ずと言っていいほど、その土地固有の歴史に言及するが、私ども歴史好きにとっては、白洲作品の大きな魅力となっている。
白洲正子の代表作としてあまりにも有名な傑作紀行文。高度成長期の観光ブームに背を向けて、知られざる山里や古寺に日本人の原点を求めて旅する白洲さんの姿は勇壮でいじらしい。とにかくこの本を一読すれば、神秘的で魅力的なかくれ里を旅してみたくなってきます。私もこの本に登場する個所はほとんど巡ったけれど(ほとんど自宅から日帰り出来ることに感謝。ありがとう白州さん。)、現在ではその多くが失われつつあり、ほぼ完全に湖底に没した村等もあるのですが、それでもこの本の魅力のためか、全ての個所で何かを感じられた気がしました。1冊だけ白洲正子を読むならこの本をお勧めします。そして、紀行文の本当の魅力は、追体験しないとわからないと思うので、かくれ里が完全に消滅しないうちに旅してみてください。