野原ひろし 昼メシの流儀 : 1 (アクションコミックス) の感想
参照データ
タイトル | 野原ひろし 昼メシの流儀 : 1 (アクションコミックス) |
発売日 | 2016-10-25 |
製作者 | 臼井儀人 |
販売元 | 双葉社 |
JANコード | 登録されていません |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » コミック・ラノベ・BL » コミック |
購入者の感想
スピンオフ作品のキャラと言うのは元を知ってる人だと違和感のあるものが多いが、これは別格。
違和感もなにも、当の作者自身に野原ひろしのキャラを掴もうとする努力が微塵も見当たらない。
作者のオリジナルのキャラに、ひろしの外見と名前を与えただけと言う感じ。
本編のひろしは普段はいい加減だが、やるときゃやるタイプのカッコいいパパ。世間の大多数の父親のように口煩くなくておおらか。だが意外と怒る時はちゃんと怒ったりする理想の父親像ナンバーワンである。
しかし、この漫画のひろしには本編のひろしのおおらかさが微塵もない。
何だか終始しかめっ面。本編と逆で、口煩い。
たかが回転寿司喰う時に「伝統」だとか「粋じゃない」とかそんなことぐだぐだいう様なキャラじゃないだろう。
本編のひろしがそんなキャラだったら世間の理想の父親像に選ばれてない。
「孤独のグルメ」みたいな話がやりたいのが見え見え。
と言うか多分クレヨンしんちゃん自体ろくに読み込んでもないだろう。「あ~あれね。ちゃんとは読んだことないけど知ってるよ。」という認識と思われる。連載開始した今もその認識は改まってないだろう。
もし野原ひろしのキャラを忠実に守った上でこの漫画をやれば大変面白いものになったろうに残念だ。
これではスピンオフとすら呼べず、野原ひろしの外見だけを中途半端にパクっただけだ。
原作に対する敬意も愛も無いスピンオフ作品などいくら公式に認められてようと論外だ。
じゃあ、原作と切り離して読めばよい料理漫画と言えるかと言うと、残念ながらとてもそうは言えない出来だ。
大体、「孤独のグルメ」のようにやりたいと言っても、あのマンガの主人公の言葉や表情などの独特の描写は、作者自身全く狙っていない、一種の天然ともいえる表現なので、誰かが真似しようとしても真似できるものではない。
逆に真似しようとすると作者の表現力の貧困さを露呈するだけだと言う事をこの漫画家を含め多くの二匹目のドジョウを狙う作家たちは分かっていない。
それと個人的な好みかも知れないが、この漫画のひろしの食べ方は少々下品であると思う。
違和感もなにも、当の作者自身に野原ひろしのキャラを掴もうとする努力が微塵も見当たらない。
作者のオリジナルのキャラに、ひろしの外見と名前を与えただけと言う感じ。
本編のひろしは普段はいい加減だが、やるときゃやるタイプのカッコいいパパ。世間の大多数の父親のように口煩くなくておおらか。だが意外と怒る時はちゃんと怒ったりする理想の父親像ナンバーワンである。
しかし、この漫画のひろしには本編のひろしのおおらかさが微塵もない。
何だか終始しかめっ面。本編と逆で、口煩い。
たかが回転寿司喰う時に「伝統」だとか「粋じゃない」とかそんなことぐだぐだいう様なキャラじゃないだろう。
本編のひろしがそんなキャラだったら世間の理想の父親像に選ばれてない。
「孤独のグルメ」みたいな話がやりたいのが見え見え。
と言うか多分クレヨンしんちゃん自体ろくに読み込んでもないだろう。「あ~あれね。ちゃんとは読んだことないけど知ってるよ。」という認識と思われる。連載開始した今もその認識は改まってないだろう。
もし野原ひろしのキャラを忠実に守った上でこの漫画をやれば大変面白いものになったろうに残念だ。
これではスピンオフとすら呼べず、野原ひろしの外見だけを中途半端にパクっただけだ。
原作に対する敬意も愛も無いスピンオフ作品などいくら公式に認められてようと論外だ。
じゃあ、原作と切り離して読めばよい料理漫画と言えるかと言うと、残念ながらとてもそうは言えない出来だ。
大体、「孤独のグルメ」のようにやりたいと言っても、あのマンガの主人公の言葉や表情などの独特の描写は、作者自身全く狙っていない、一種の天然ともいえる表現なので、誰かが真似しようとしても真似できるものではない。
逆に真似しようとすると作者の表現力の貧困さを露呈するだけだと言う事をこの漫画家を含め多くの二匹目のドジョウを狙う作家たちは分かっていない。
それと個人的な好みかも知れないが、この漫画のひろしの食べ方は少々下品であると思う。