閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 (集英社新書) の感想
参照データ
タイトル | 閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 (集英社新書) |
発売日 | 2017-05-17 |
製作者 | 水野 和夫 |
販売元 | 集英社 |
JANコード | 9784087208832 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » ビジネス・経済 » 経済学・経済事情 |
購入者の感想
時々、経済学の啓蒙書を読みたくなる。ずいぶん前に、『成長の限界』という本を読んだことがある。その時は、その主張にみょうに納得したことを覚えている。何故か。二、三十年前から、「歴史の進歩とは何か」、「豊かさとは何か」という問題に関心があったからである。当然、経済学の一般書を読んでいるときにも、そうした視点や疑問を持っていた。
エコノミストといわれる人々の言説に触れるとき、いつも煙に巻かれたような気がしていた。例えば、政府の経済政策を支持する人と、その正反対のことを主張する人がいる。どちらも我こそは正しいと言い張る。どちらの陣営のエコノミストも食いっぱぐれはないだろうと思う。何故ならば、政府の太鼓持ちをすれば需要があるだろうし、実現しそうもない政府と正反対のことも、その正当性を主張し続けることができるからである。
エコノミストといわれる人々の主張は、資本主義社会の経済システムは完成された完璧なものという前提で、テクニカルな話をしているように思えてならない。お金や経済のシステムは、人間が作り出したもので、当然、欠陥や欠点、ほころびが生じるものであるというのが、経済学の専門家でない素人の素直な感想ではないか。人間が作り出した経済システムやお金に多くの人々が翻弄されていると。
水野さんの前作『資本主義の終焉と歴史の危機』と本作は、そうした疑問に応えてくれる貴重な著作である。特に本作では、後半の第四章からが興味深かった。本作での主張の正しさを検証する知識や能力を持ち合わせていないので専門的にどうのこうのということはできないが、少なくとも素人の私でも腑に落ちるという満足感は大きい。それは著者の学際的な視点、広範な読書体験によるものだと思う。その意味で大学教育について触れている第六章の「リベラル・アーツ重視」という主張には納得できる。第二、第三と多くの水野さんのような指導者が育ってほしい。
エコノミストといわれる人々の言説に触れるとき、いつも煙に巻かれたような気がしていた。例えば、政府の経済政策を支持する人と、その正反対のことを主張する人がいる。どちらも我こそは正しいと言い張る。どちらの陣営のエコノミストも食いっぱぐれはないだろうと思う。何故ならば、政府の太鼓持ちをすれば需要があるだろうし、実現しそうもない政府と正反対のことも、その正当性を主張し続けることができるからである。
エコノミストといわれる人々の主張は、資本主義社会の経済システムは完成された完璧なものという前提で、テクニカルな話をしているように思えてならない。お金や経済のシステムは、人間が作り出したもので、当然、欠陥や欠点、ほころびが生じるものであるというのが、経済学の専門家でない素人の素直な感想ではないか。人間が作り出した経済システムやお金に多くの人々が翻弄されていると。
水野さんの前作『資本主義の終焉と歴史の危機』と本作は、そうした疑問に応えてくれる貴重な著作である。特に本作では、後半の第四章からが興味深かった。本作での主張の正しさを検証する知識や能力を持ち合わせていないので専門的にどうのこうのということはできないが、少なくとも素人の私でも腑に落ちるという満足感は大きい。それは著者の学際的な視点、広範な読書体験によるものだと思う。その意味で大学教育について触れている第六章の「リベラル・アーツ重視」という主張には納得できる。第二、第三と多くの水野さんのような指導者が育ってほしい。
著者の趣旨は、資本主義は終焉して行き、これから100年近くかけて「閉じた帝国」が複数並び立つ中世に類似した世界システムに移行するという壮大なストーリーである。
未来は誰にも予測できません。
ただし、統計確率でリスクを予測できない"真の不確実性"には、対処方法があります。
それは貴重な情報が織り込まれているナラテイブを見つけることです。
この本の中でわたしが着目した情報は以下です。
・日本では1998年以降、交易条件の悪化が景気拡大をもたらし、交易条件の改善が景気後退をもたらしていた。なぜなら、交易条件の改善の背後には世界経済の低迷(=資源価格の低迷)があり、成熟化した先進国の景気は、輸出に左右されやすくなっているので、輸出減が先進国の景気後退(=生産減)を招いている。
・トマス・ホッブスの「リヴァイアサン」では、この世界は万人の万人に対する戦争状態であるが、それを終わらせるために国家が登場した。ところが「安全国家」ではその図式が逆転して恐怖を維持することが目的化する。なぜなら、国家は恐怖からその本質的機能と正当性を引き出しているからである。
・資本主義が終焉を迎えても、すでに国民国家単位の枠を越えてグローバル化した企業の経済活動を従来の国民国家システム時代のサイズに一気に縮小させるわけにはいかない。そんなことをすれば企業はショック死してしまう。
・資本係数は民間企業資本ストック÷実質GDPの値であり、その意味するものは、1単位のGDPを生み出すのにどれだけの資本ストックを保有しているかという比率である。リーマンショック後は輸出も減少し、現在に至るまで資本係数は再び上昇に転じていて、1990年代後半の過剰設備とほぼ同じ状況にあり、パネル産業の大リストラに象徴されるように過剰生産の調整は終わっていない。
・縁故主義(クローニーキャピタリズム)の拡大が先進国で起こっている。富裕層の資産の3分の1は相続によるもので、43%は縁故主義に関係している。(森友問題、加計学園問題しかり)
・歴史的に超低金利を続けたジェノバの国債価格は1621年に暴落して、この年を境に金利が暴騰した。
未来は誰にも予測できません。
ただし、統計確率でリスクを予測できない"真の不確実性"には、対処方法があります。
それは貴重な情報が織り込まれているナラテイブを見つけることです。
この本の中でわたしが着目した情報は以下です。
・日本では1998年以降、交易条件の悪化が景気拡大をもたらし、交易条件の改善が景気後退をもたらしていた。なぜなら、交易条件の改善の背後には世界経済の低迷(=資源価格の低迷)があり、成熟化した先進国の景気は、輸出に左右されやすくなっているので、輸出減が先進国の景気後退(=生産減)を招いている。
・トマス・ホッブスの「リヴァイアサン」では、この世界は万人の万人に対する戦争状態であるが、それを終わらせるために国家が登場した。ところが「安全国家」ではその図式が逆転して恐怖を維持することが目的化する。なぜなら、国家は恐怖からその本質的機能と正当性を引き出しているからである。
・資本主義が終焉を迎えても、すでに国民国家単位の枠を越えてグローバル化した企業の経済活動を従来の国民国家システム時代のサイズに一気に縮小させるわけにはいかない。そんなことをすれば企業はショック死してしまう。
・資本係数は民間企業資本ストック÷実質GDPの値であり、その意味するものは、1単位のGDPを生み出すのにどれだけの資本ストックを保有しているかという比率である。リーマンショック後は輸出も減少し、現在に至るまで資本係数は再び上昇に転じていて、1990年代後半の過剰設備とほぼ同じ状況にあり、パネル産業の大リストラに象徴されるように過剰生産の調整は終わっていない。
・縁故主義(クローニーキャピタリズム)の拡大が先進国で起こっている。富裕層の資産の3分の1は相続によるもので、43%は縁故主義に関係している。(森友問題、加計学園問題しかり)
・歴史的に超低金利を続けたジェノバの国債価格は1621年に暴落して、この年を境に金利が暴騰した。
混沌とした世界経済と国際秩序が、この後、どう変わっていくのか。
今まで疑問に思っていたことが氷解。本書の描く大きな見取り図に、目から鱗がぼろぼろと落ちていく思いがした。
新書とは思えない、濃密な内容。以下、個人的に興味深かったポイントの抜出しです。
①「帝国」にこめられている意味
英国のEU離脱やトランプ大統領の登場は、資本主義の末期に暴走するグローバル資本に対して「閉じる」方向を国民が選択したものだ。ただし、一国単位で対抗しようとしても今の時代では厳しい。EUのようなサイズの地域経済圏、国民国家をこえて統合した「帝国」にこそ、未来があるというビジョン。
②マイナス金利は徴税権 → 民主的プロセスの骨抜きの状態化
日銀が設定したマイナス金利は、民主的プロセス抜きで、日銀が徴税権を手に入れたようなものだという分析。
③資本主義と民主主義の関係
人々の欲求は「無限」。「無限」の欲求に応える生産力がなければ、民主主義のもとでの社会秩序は維持できない。
だからこそ、生産力増強に適した資本主義が、民主主義とともに両輪となって近代システムは続いてきた。
ところが、フロンティアが消滅し、「資本主義の終焉」を迎えた今、利潤の極大化が不可能となった。
利潤率の近似値である長期金利が、「ゼロ」になっていることからも、それは明らかである。
④利潤の追求が不可能になった時代の逆説
この時代の変化を無視した末路が、東芝、三菱自動車、フォルクスワーゲン。
無理やりに成長を求めると、「後退」する逆説の経済の時代に。
⑤近代の扉を開けた「長い16世紀」と近代から出ていく「長い21世紀」という歴史的な視点
「長い16世紀」と現代を比較していくことで、アメリカに追随していくことが、いかに時代錯誤なのかが、よく分かる。
スペインに投資して没落したイタリアの轍を日本は踏むのだろうか。
⑥「エネルギーの崖」―エネルギー危機は、本当はもっとまじかに迫っている
化石燃料を採掘するのに、エネルギーが必要。
今まで疑問に思っていたことが氷解。本書の描く大きな見取り図に、目から鱗がぼろぼろと落ちていく思いがした。
新書とは思えない、濃密な内容。以下、個人的に興味深かったポイントの抜出しです。
①「帝国」にこめられている意味
英国のEU離脱やトランプ大統領の登場は、資本主義の末期に暴走するグローバル資本に対して「閉じる」方向を国民が選択したものだ。ただし、一国単位で対抗しようとしても今の時代では厳しい。EUのようなサイズの地域経済圏、国民国家をこえて統合した「帝国」にこそ、未来があるというビジョン。
②マイナス金利は徴税権 → 民主的プロセスの骨抜きの状態化
日銀が設定したマイナス金利は、民主的プロセス抜きで、日銀が徴税権を手に入れたようなものだという分析。
③資本主義と民主主義の関係
人々の欲求は「無限」。「無限」の欲求に応える生産力がなければ、民主主義のもとでの社会秩序は維持できない。
だからこそ、生産力増強に適した資本主義が、民主主義とともに両輪となって近代システムは続いてきた。
ところが、フロンティアが消滅し、「資本主義の終焉」を迎えた今、利潤の極大化が不可能となった。
利潤率の近似値である長期金利が、「ゼロ」になっていることからも、それは明らかである。
④利潤の追求が不可能になった時代の逆説
この時代の変化を無視した末路が、東芝、三菱自動車、フォルクスワーゲン。
無理やりに成長を求めると、「後退」する逆説の経済の時代に。
⑤近代の扉を開けた「長い16世紀」と近代から出ていく「長い21世紀」という歴史的な視点
「長い16世紀」と現代を比較していくことで、アメリカに追随していくことが、いかに時代錯誤なのかが、よく分かる。
スペインに投資して没落したイタリアの轍を日本は踏むのだろうか。
⑥「エネルギーの崖」―エネルギー危機は、本当はもっとまじかに迫っている
化石燃料を採掘するのに、エネルギーが必要。