魂も死ぬ の感想
参照データ
タイトル | 魂も死ぬ |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 内海 聡 |
販売元 | 三五館 |
JANコード | 9784883206537 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 宗教 » 宗教学 |
購入者の感想
フラクタル理論とは、自然界の営みにおいて、地球上は勿論のこと、大宇宙から原子に至るまで、万事、相似形のように形成されているという考え方を言う。
私にとって、「霊魂」の有る無しは、究極のところ、「生命」の有る無しという意味に通じてくると言える。
だが、内海氏が投げ掛けていることは、結構、なるほどな、と思わされた。
霊魂否定派でありながら、あえて霊魂を肯定する立場に立ってきちんと調べた上で考察を加えてある点は評価に値すると思う。
そもそも、考え方が異なる分野の諸々は、ハナから受け付けないという方がほとんどではないだろうか。だから、批判するにしても、的はずれのケースが多いし、全否定のみで、歩み寄ることなど土台無理だろうし、また、新たな発見などあり得ない。
例えば、内海氏の言われる「生命の樹」に対して、私たちが(霊魂も引っ括めて)一枚一枚の葉っぱであるという例えなど、実に面白い視点であるなと感じた。
それは、肉体は勿論、「霊魂」も、とにかく一切合切含めて、平等に「死」を迎える、ということを意味する。
つまり、内海氏は、宇宙全体を貫く「自然の法則」の下で、「霊魂」のみを特別視したり、人間のみを「霊的レベルが高い」などと特別扱いする必要がないということを指摘しているわけである。
そして、彼は、あらゆるものが分解されて土に還り混ざり合って、養分として根から吸収されて、新たな枝や葉っぱとして再生する、ということを繰り返すことをもって、「輪廻転生」という現象や生まれ変わりの記憶を持つ人がいるという現象を説明してある。
個人的には、「霊魂」と大宇宙がそのままリンクしているという捉え方をしているわけで、「霊魂が死ぬ」ということは、宇宙の摂理、神が死ぬ、ということに他ならないのではないか、と思っている。
更に、私は、霊魂とは、即ち、“本質”としての自分という捉え方をしているわけで、霊魂を肯定する立場になるのだが、“今”に集中するしかないと思って日常生活を続けさせて頂いている。
私にとって、「霊魂」の有る無しは、究極のところ、「生命」の有る無しという意味に通じてくると言える。
だが、内海氏が投げ掛けていることは、結構、なるほどな、と思わされた。
霊魂否定派でありながら、あえて霊魂を肯定する立場に立ってきちんと調べた上で考察を加えてある点は評価に値すると思う。
そもそも、考え方が異なる分野の諸々は、ハナから受け付けないという方がほとんどではないだろうか。だから、批判するにしても、的はずれのケースが多いし、全否定のみで、歩み寄ることなど土台無理だろうし、また、新たな発見などあり得ない。
例えば、内海氏の言われる「生命の樹」に対して、私たちが(霊魂も引っ括めて)一枚一枚の葉っぱであるという例えなど、実に面白い視点であるなと感じた。
それは、肉体は勿論、「霊魂」も、とにかく一切合切含めて、平等に「死」を迎える、ということを意味する。
つまり、内海氏は、宇宙全体を貫く「自然の法則」の下で、「霊魂」のみを特別視したり、人間のみを「霊的レベルが高い」などと特別扱いする必要がないということを指摘しているわけである。
そして、彼は、あらゆるものが分解されて土に還り混ざり合って、養分として根から吸収されて、新たな枝や葉っぱとして再生する、ということを繰り返すことをもって、「輪廻転生」という現象や生まれ変わりの記憶を持つ人がいるという現象を説明してある。
個人的には、「霊魂」と大宇宙がそのままリンクしているという捉え方をしているわけで、「霊魂が死ぬ」ということは、宇宙の摂理、神が死ぬ、ということに他ならないのではないか、と思っている。
更に、私は、霊魂とは、即ち、“本質”としての自分という捉え方をしているわけで、霊魂を肯定する立場になるのだが、“今”に集中するしかないと思って日常生活を続けさせて頂いている。