新宗教と総力戦―教祖以後を生きる― の感想
参照データ
タイトル | 新宗教と総力戦―教祖以後を生きる― |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 永岡 崇 |
販売元 | 名古屋大学出版会 |
JANコード | 9784815808150 |
カテゴリ | 人文・思想 » 宗教 » 新興宗教 » 天理教 |
購入者の感想
サブタイトルにある「教祖以後」という言葉の意味を考えつつ読みはじめたのだが、たとえばキリスト教にしても、イエスの生前にはその周りに集まった小さな集団にすぎなかったものが、キリスト教団として発展していくのはまさに「教祖以後」のことである。そしてその過程がその宗教の運命を決めていくというのも至極当然だろう。
しかし、キリスト教はともかく、多く新宗教では「教祖以後」のことはあまり知られていない。本書で題材にとられている天理教も教祖・中山みきについては、信者ではない私でも少しは知っているが、そのあとを継いだ人たちのことはまったく知らなかった。しかし、これがすこぶる興味深いのだ。当然のように、世間からは冷たく扱われ、時として迫害・弾圧も受けるわけだが、それでも、教祖の周りに集まっていた人たちが散り散りにならないためにはどうすればよかったのか。
それは、その宗教がくぐりぬけていく時代や社会と無関係には考えられない。では、もしそれが近代の日本のように、大きな戦争に向かっていく社会であったらどうなるだろうか。著者は、そこでの新宗教の経験を――多くが、積極的と言っていい戦争協力をおこない、天理教の場合はそれが「ひのきしん」という活動に代表される――、高みから断罪することなく、徹底的に寄り添って記述しようとする。だからこそ、そこでの人びとの思いが伝わってくるのだ。もちろん、冷静な批判意識を眠らせてしまうのではない。私が感銘を受けたのは、こうした状況の中でしか生きられなかった人びとが、にもかかわらずそれを超えることができたかもしれない可能性の探究を、この著者が忘れていない点である。
宗教と総力戦という主題を本気で考えようとすれば、こうした姿勢が必須であることは、何度でもかみしめておきたい。本書を広くお薦めする。
しかし、キリスト教はともかく、多く新宗教では「教祖以後」のことはあまり知られていない。本書で題材にとられている天理教も教祖・中山みきについては、信者ではない私でも少しは知っているが、そのあとを継いだ人たちのことはまったく知らなかった。しかし、これがすこぶる興味深いのだ。当然のように、世間からは冷たく扱われ、時として迫害・弾圧も受けるわけだが、それでも、教祖の周りに集まっていた人たちが散り散りにならないためにはどうすればよかったのか。
それは、その宗教がくぐりぬけていく時代や社会と無関係には考えられない。では、もしそれが近代の日本のように、大きな戦争に向かっていく社会であったらどうなるだろうか。著者は、そこでの新宗教の経験を――多くが、積極的と言っていい戦争協力をおこない、天理教の場合はそれが「ひのきしん」という活動に代表される――、高みから断罪することなく、徹底的に寄り添って記述しようとする。だからこそ、そこでの人びとの思いが伝わってくるのだ。もちろん、冷静な批判意識を眠らせてしまうのではない。私が感銘を受けたのは、こうした状況の中でしか生きられなかった人びとが、にもかかわらずそれを超えることができたかもしれない可能性の探究を、この著者が忘れていない点である。
宗教と総力戦という主題を本気で考えようとすれば、こうした姿勢が必須であることは、何度でもかみしめておきたい。本書を広くお薦めする。