【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫) の感想

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タイトル【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)
発売日販売日未定
製作者明智 憲三郎
販売元文芸社
JANコード9784286143828
カテゴリ歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般

購入者の感想

歴史小説や、子供向けの伝記、マンガ日本の歴史ぐらいでしか歴史に触れていない人にとっては、
新鮮なお話だったかもしれないが、作者の主張していることともやっていることも目新しいことではない。

文献をあたって客観的に事実関係を明らかにするのは、歴史研究ではあたりまえの手法であって、
「理系だから」というものではない。
兎にも角にも『従来の説』というのを貶めているが、作者のいう従来の説というのは、
自分の知る限り30年以上前から否定されていることであり
(いわゆる江戸時代になってからの作り話や、勝者による歴史の改竄、人気歴史小説の影響)、
それを引っ張り出して、三面記事呼ばわりするのは寒々しさを感じる。

にも関わらず、自分の提唱する説に関しては、根拠となる文献が少なく、結論ありきの証拠固めという印象が拭えない。
そういう意味では、犯人ありきで証拠固めをする悪しき警察の捜査を連想させるので、「歴史捜査」という言葉を使っているのは
あながち間違ってはいないかもしれない。

さらに言い訳のように「現代人にはわからない」という記述が散見することにも違和感を覚える。
地に足をつけた歴史を研究しているのではあれば、歴史上の偉人でも「現代人に連なる同じ人間である」
ということを実感することのほうが多い。蓄積された技術や情報量の差こそあれ、人間の考えることは同じなのだ。
信長や光秀が合理的な人間であったのならば、なおのことだろう。

出している結論も、斬新さは無く、数ある説のひとつに過ぎない上に、確たる証拠はない。
むしろ、散々他の説を貶した挙句に、根拠の薄い証拠で、自説を声高々に主張しているようで嫌悪を感じた。
結果的に、出した結論が真実である可能性はあるが、過程が酷過ぎる。
作者には、もっと真摯に歴史と向き合って欲しい。

本日読了した。これまで数多くあった歴史ミステリーに迫る著作の中でも、歴史資料を細かく追っていて分析は丁寧。
通説、定説の矛盾の指摘は鋭く、説得力があった。もっとも、この手の書籍では通説批判は割と簡単で、歴史資料というのは多かれ少なかれ矛盾を孕んでおり、また権力者による改竄や、脚色はすべての歴史資料に存在するといっていいので、それを批判しとけばとりあえず説得力は出る。
問題は、そこから、実際には何が起こったのかという点の立論だが、多くの書籍では「~のはず」「~のはずがない」とか憶測だけで勧めていいくことが多いが、この本は基本的に当時の資料をもとに研究がされていて好感がもてた。

もっとも、結局は著者は途中から自らのストーリーにハマって致命的な誤謬を見落としている。
著者のストーリーでは、本能寺の変は、もともと信長の家康暗殺計画だが、光秀がそれを利用して家康と結託して、信長を殺したというもの。
1本当であれば、家康が信忠を殺す予定であったが、信忠が予定を変更して京都にいったので、光秀は当初それに気づかず、信長をうったあと、遅れて信忠を殺した。
2光秀を家康が仲間だったので、家康の伊賀越えは当然成功した。
3光秀との結託していたはずの細川幽斎が秀吉に密告し、中国大返しが成功し、そのご幽斎、秀吉、家康の三者で秘密を共有していた。

1についてだが、そもそも家康が信忠を殺すといっているが、堺で家康の連れは30名ほど。信忠に馬廻り衆500人がいたのに、どうやって信忠を打つのか。著者は家康と光秀の周到な準備というが、周到どころか、一か八かの戦いにもならない無謀な作戦。
しかも、信忠が堺を事前に出ていたのなら、なぜ、同じ堺にいた家康が光秀に伝えなかったのか。信忠を打つつもりであれば、当然家康は信忠を見張っていたであろうはずなのに、重大な作戦変更を光秀に伝えないこと自体不自然。

2光秀と手を組んでいるのなら何故家康は伊賀越をしたのか。光秀が敵でないなら、リスクを負って家康は堺をでる必要はない。

明智氏の研究の特徴は、情報の4W1Hがしっかりしていること、つまり誰がどこで、いかなる情報をどのようにして知ったのか、そのプロセスのチェックを軸にしているところです。ご本人は「捜査」という言葉を使われていますが、伝統的には「認識論」と呼ばれる議論で、認識論的に吟味することで「誤った知識」と「正しい知識」を分けていく、本来の科学的姿勢を忠実に実行するものです。歴史関連の本には、ある史料が「権力者の書かせたもので信用できない」といいながら、筆者の主張も同じ史料を根拠にしていたりと、正直読むに耐えないものが多いですが(とくに古代史関連では)、本書はそうした凡百の本と一線を画するものです。その意味でこの本は、「研究」とは何かを知りたい大学生など、初学者にも有益でしょう。

明智氏が「蓋然性の高い」と判断して最終的に提出した「仮説」を、「明智説」のように矮小化して取り出し、他の誰かも言っているとか、あるいは他のいい加減な説と並置して紹介したりするやり方では、この本の価値が損なわれることになります。批評をする人は、この本の史料批判と推論のプロセスにフォーカスすべきでしょう。

硬いことを書いてしまいましたが、研究にとってだけでなく歴史を生きる当事者たちにとっても、どんな情報をどのタイミングで手に入れ、自分の判断・行動に結び付けるのかはきわめて重要です。その意味で本書の描き出すドラマは、当時を生きた人々の緊張感が伝わってくるほど真実味のあるものでした。

歴史には不可解な事件が数多くあります。その意味で「本能寺の変」という事件について、自分が生きているうちにここまで綿密な研究にふれることができて幸せ、と感じました。

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